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人と違うということ
Minagi Shinohara 2021. 9.28 by Keio Fashion Creator
「変わってるね。」私はこの言葉に疑問を覚える。この言葉を聞くと普通であることが正しいと諭されている気がしてならない。私がこの言葉をかけられることが多いのは名前である。読みにくい漢字。自己紹介をすると例外なく聞き返される名前。“変わってない”名前をもつ人が...
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見えないファッション
yuma kumatoriya 2021. 9.21 by Keio Fashion Creator
シーンに合わせて服装を決めるように、纏う香りを決めることは私の1つの楽しみである。同じ服装でも、香りを変えるだけでその日の自分の世界観が変化するのである。特にお気に入りの香りを纏った日は、ふとした瞬間に漂う香りに幸せを感じる。そして同じような香りがする人に出会う...
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みんなに持って欲しいマインド(自分の経験談が多め)
Koki Kanamori 2021. 9.21 by Keio Fashion Creator
私はすごくポジティブな性格なのだが、その所以は今まで育ってきた環境によるものだと思っている。たしかに先天的な性格というのも存在するだろう。だが、親や親戚、友達や学校など、若いうちに周りから受ける影響というのも計り...
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流行のサイクル
nao matsushita 2021. 9.21 by Keio Fashion Creator
「昔おばあちゃんもそんなの着てたわよ」私が祖母宅を訪れると真っ先に言われる言葉だ。 あんな古い服保管してれば全部あげたのに、もう着ないと思って処分したのよ、とこぼす祖母を見て、流行の繰り返すサイクルについて考えずにはいられない。現に〇〇年代ファッションという言葉が...
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Met Galaの野次馬をした話
Momoko Sugita 2021. 9.21 by Keio Fashion Creator
Met Gala(以下メットガラ)をご存知だろうか。メットガラとは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で例年開催されているファッションの祭典である。また、同美術館で開催されるファッションの展示会のオープニングイベントである。これ以上の情報を...
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魅惑のグルメエッセイ
Hiyori Iwase 2021. 9.14 by Keio Fashion Creator
私はグルメエッセイを読むのが好きだ。一時期は本屋で見かけたら絶対に買う、というマイルールを持つくらいハマっていた。グルメエッセイの魅力は何といっても、文字という視覚で味覚を感じられることだ。時には嗅覚や触覚まで呼び起こされる...
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ゴルチエのプレタポルテ復活とsacai×Jean Paul Gaultier のカプセルコレクションについて
ryotaro hayashi 2021. 9.14 by Keio Fashion Creator
ゴルチエは2015年ssのコレクションをもってプレタポルテから撤退した。それからはオートクチュールとフレグランス事業、アクセサリーなどに専念してきた。さらにゴルチエ...
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それぞれ違う人間
kokona umebayashi 2021. 9.14 by Keio Fashion Creator
私は私しか居ない。私と同じ顔で同じ性格で同じ人生を歩んでる人はいない。ふとした瞬間にそう考えることがある。色々な環境で新しい人と出逢うと、自分が得意だと思っていたこと、自信のあったことでも上には上がいることを実感して、自分は劣っているように感じ、ネガティヴに...
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one of the top
akari ono 2021. 9.14 by Keio Fashion Creator
「one of the top」 英語の不思議な言い回しだ。一番なのに、いくつもある。いくつもあるナンバーワンのうちの一つ。この不思議な言葉が私のコンセプトだ。高校生の私が、自分だけの服装、自分だけの個性、自分だけの魅力を手に入れようと躍起になっていたときに、友人がふと...
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私の特技
konoko 2021. 9.07 by Keio Fashion Creator
私は特技は、「睡眠による幸せの記憶、不幸せの忘却」である。一度寝ると、不幸せを忘れ、幸せのみを記憶する私の脳は便利で都合が良い。ここでは、「自分は幸せである。」と胸を張る私が最近感じた幸せをリスト化しようと思う。...
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かつての服たちへ
Kyoka Hashimoto 2021. 9.07 by Keio Fashion Creator
私は幼少期の頃から自己主張ができずに他人の顔色ばかり伺ってしまう性格だった。 その性格は当時の私の服選びにも表れていた。例えば、母が私に買おうとしてくれている服がたとえ私の好みではなくても、服を買ってもらえるのならばと喜んでいるフリをした。2歳年の離れた従姉が服を譲って...
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僕の好きなマガジン
daiki adachi 2021. 9.07 by Keio Fashion Creator
僕はstudyというインディペンデントマガジンが好きである。とかいって実物を買ったことはまだないんですけどね。だけど、studyのインスタグラムから垣間見える雑誌の雰囲気がとても魅力的で、なんといっても編集長の長畑さんはファッションに対してとても博識で、貪欲で、寛容で...
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自意識の話
akari ono 2021. 9.07 by Keio Fashion Creator
Who decides who I am?いったい誰が、私という人間を定義するんだろう。自意識という言葉がある。意味は、「自分自身についての意識、自我の意識」。私はこの自意識といつも闘っているような気がする。自分勝手な言い方をさせてもらえば、自意識に苦しめられている。太宰治のダス...
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街の風景
Kyo Ishibashi 2021. 8.31 by Keio Fashion Creator
街を歩いていると、至るところに「デザイン」がある。世の中にあふれている様々なデザインはどれも、街の風景を構成している。ビルも、標識も、さらには道路だって、デザインである。そんな風景を構成する要素としては、人間もあげられるだろう。ビルや標識は毎日変わらないが...
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ルッキズムについて
sara takeuchi 2021. 8.31 by Keio Fashion Creator
最近になってルッキズムに関する話題が増えたような気がする。その背景としてSNSの普及により他人と自分を相対化してみる機会が増え、「他人から可愛く、かっこよく見られたい」や「いいね、フォロワーを増やしたい」などと思う人が増えたからだと考える...
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映画とファッション
YU MURAI 2021. 8.31 by Keio Fashion Creator
私は映画が好きだ。基本的に洋画のみだが、ジャンルや作成年代に拘りはなく幅広く観る。その中で、やはりファッションというのは映画の中で大きな役割を果たしていると思う。映画にはさまざまなキャラクターが登場する。そして、そのキャラクターをそのキャラクターたらしめているものが...
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歳を取ること、スタイルの変容、そしてダンディズムについて
haruki sugiyama 2021. 8.31 by Keio Fashion Creator
じめっとした日本特有の蒸し暑さの中に、どこか猛暑の訪れを予感する時期になってきた。このようなありきたりな季節の挨拶で文章を始めたくないのだが、今僕の頭の中には猛烈な暑さを耐え凌ぐだけの衣服を持ち合わせていないという...
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服を介して
SHIORI NAKAMURA 2021. 8.24 by Keio Fashion Creator
私には古着屋さんで購入したお気に入りのスウェットがある。高3の秋、受験勉強の気晴らしに下北沢を歩き回っていたところ、たまたま普段行かないお店に入ったときに偶然出会ったものである。目を引くターコイズブルーで、ドルマンスリーブ、すこしざらざらした手触りに...
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服と私の関係性
Marina Miyake 2021. 8.24 by Keio Fashion Creator
自分に自信がない人は服やメイクにこだわる人が多いと聞いたことがある。もちろん誰もがこだわりを持っている。しかし、私の場合、自信がないからこだわるという部分では当てはまるかもしれない。常に自信がないわけではないが、突然自信を無くしてしまうことがある...
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服を通じて日常から私が感じること
meguri takano 2021. 8.24 by Keio Fashion Creator
人は何のために服を着るのか。他人と差をつけるため、自分をよく見せるため、気分を上げるため、ただ生活をするため、人によって服を着る理由は様々で正解がなければ不正解もない。人にこう思われたいとか、TPOがあるからとか、自分はこうであるべきだ、みたいな...
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きたい
Hinako Kutara 2021 8.24 by Keio Fashion Creator
ファッションはたまに思わぬ出会いやきっかけをくれる。
去年、ミキオサカベというデザイナーが監修するブランドgroundsのスニーカーを買った。ソールに可愛い球体がついているのが特徴的。ある日大学で...
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アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』を読む
Yuto Tanishiki by Keio Fashion Creator
映画で何が成せるのか。どんな世界を、どのような手段で表現できるのか。映画の秘める可能性を強く感じた作品であった。知覚しうる限りの全てに感服する。純粋にそれだけの技術と完成度があるが、何より...
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Keio Fashion Creator
では、部員が執筆した文章をブログという形で公開しています。
12月に開催されるショーが活動の中心ではありますが、ブログは部員がそれぞれのファッションに対する想いや考えを文章で表現する場として毎年執筆しています。
内容も日々考えたこと、ファッションについての考察やイベントのレポートをはじめ、逸品紹介、旅行記、社会問題に至るまで様々です。
これまで書き手は主にプレスの部員でしたが、今年度からは他役職からも記事を募集し、幅広く読んでいただけたらと思っております。
ブログを通じて、Keio Fashion
Creatorと私たち部員をより身近に感じ、深く知っていただくきっかけになれば幸いです。
個性豊かな部員たちが綴った文章を、ぜひお楽しみ下さい。
2021
2020
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今年度のショーに際して、私たちが伝えたいこと
MARIKO MINAGAWA 2020 by Keio Fashion Creator
今年Keio Fashion Creatorが選択したショーテーマは「辿る」。伝えたいことの中核にあるのは、困難な状況の中でも自分自身の選択を信じて希望を失わない、その前向きな思いである。...
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パリで見たモード(1)街歩きの楽しみ+古着屋・ショップ巡り
MARIKO MINAGAWA 2020 4.21 by Keio Fashion Creator
夏休みを利用して3週間ほどパリに行ってきた。せっかくなのでいくつかに分けて、見たものや感じたことを書いていきたい。 まず1本目の今回は、街歩きの楽しみについてお話ししたい。ついでに古着屋やショップ巡りのレポをしたいと思う。...
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疑問から生まれる感動
NONIKA WAKISHIMA 2020.4.7.by Keio Fashion Creator
先日、私はふとした瞬間に素朴な疑問が頭の中に浮かんできた。いや、「素朴」という言葉で簡単に片付けてはいけない大きな疑問であるかもしれない。 その疑問こそ、「私は生まれて来てから今までに何着の服を纏って来たのだろう?」というものである。人によってその全体数には大きな差が生まれるだろう。服への関心度、経済状況、拠点とする場所など要因は様々である。...
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あの人みたいになりたいからって、あの人みたいになったらフェイク
KOHEI EGUCHI 2020.4.10 by Keio Fashion Creator
これは僕が好きなリリックの一節であり、同時に僕のモットーとしている言葉である。短い文だがこれって結構深いと思う。中学生の時に初めてこの一節を聴いた時、ただ単純にカッコいい〜と思っていただけであったが、時間が経ち今日この言葉を考えてみると...
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グアテマラの文化から考えるフォークロア
NODOKA JIN 2020. 4.16 by Keio Fashion Creator
私は高校生の頃から中南米諸国に関心があり、それらの地域について調べる機会が多かったため、今回はこの地域に絡めた話をしようと思う。 まず皆さんはグアテマラという国を知っているだろうか? グアテマラは中南米に位置する、スペイン語を公用語とする国である...
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私の古着屋開拓
MOE NAKATA 2020.4.8. by Keio Fashion Creator
東京に住み始めて4ヶ月。わたしは友達の影響もあり、古着屋をよく訪れる。 友達とは主に原宿の古着屋を見るが、一人では主に高円寺の古着屋を見ることが多い。 わたしは高円寺の古着を見る時間が1番好きだ。高円寺には何度行っても回りきれない数の古着屋がある。ふらっと歩いていくうちに気になった古着屋に入ることができる。...
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中途半端であること
MARUNA KAWASHIMA 2020.4.9.by Keio Fashion Creator
私は、他の人よりも多趣味な傾向がある。両親が私のやりたいことはなんでも協力的にやらせてくれる人だったというのもあるが、聴く音楽のジャンルも読む本のジャンルも様々だし、少しだけ写真をかじったりもしたし、政治や時事問題について考え議論する事も好きだし、...
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広がるかわいい
MARUNA KAWASHIMA 2020 4.11 by Keio Fashion Creator
日本では最近若者の間でよく使われるようになった“かわいい”の範囲は広がりつつある。おじいちゃんやおばあちゃんに対する“かわいい”、少しブサイクな犬にも“かわいい”、その流れに乗ってか、食べ物にもどんどん“かわいい”は取り入れられている。そんな中、...
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自由と平等
MOE NAKATA 2020 4.12 by Keio Fashion Creator
「○○ちゃんの学校の制服かわいいよね〜」 女子高校生のこんな会話をよく耳にする。私は中学校も高校も制服で登校することがなかったので他の学校の制服のデザインを羨ましいと感じたことは一度もない。しかしバイトを始めて私は制服というものがもたらす平等性を感じたのだ。 私たちは「自分」を個性のままに発揮したいという気持ちを...
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他人からの影響
AKIHISA IWASAKI 2020. 4.15 by Keio Fashion Creator
今日、SNSなどインターネットの普及によって情報の入手が用意になったことで私たちは他人からの影響を受けやすくなってると思う。それはファッションについても言えることだ。この状況を利用してSNSやYoutubeなどの媒体でおすすめコーデとして他人のファッションに...
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アウトサイダーアートの世界
MOE NAKATA 2020. 4.17 by Keio Fashion Creator
私は先日、渋谷で開催されたアウトサイダーアート展に行った。アウトサイダーアートとは日本では知的障害者や精神障害者がアートセラピーとして書いた作品として知られている。 私は小学校以来、障がい者とあまり関わってこなかったため、どきどきしながらギャラリーのドアを開けた。...
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純粋なファッション
NONIKA WAKISHIMA 2020. 4.18 by Keio Fashion Creator
表参道にはハイブランドの路面店が立ち並ぶ。思わず立ち止まって見上げてしまうほど 大きく美しく磨き上げられたショーウィンドウ。中にはスタイル抜群のマネキンが何十万円、いや何百万円もする服を纏っているのだろう。...
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おしゃれの定義
MARUNA KAWASHIMA 2020. 4.20 by Keio Fashion Creator
最近よく思うことがある。シンプルなシャツとパンツでもとてもおしゃれに見える人と、ハイブランドや少しデザインが効いている服を着ていてもあまりおしゃれに見えない人の違いである。どちらかというと...
2019
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代表インタビュー
2019 KIE UEDA by Keio Fashion Creator
Q1.なぜ今年のテーマをImpressionにされたのでしょうか。
A1. 私が決めたというより、皆で話し合って決めました。意見を出し合ったときに、多くの人がコンプレックスを抱えてながら生きていたり、学生で活動しているのに「学生」としてやってるからこそなめられてしまう、というちぐはぐ加減みたいなものを感じてるなと思って... -
デザイナーインタビュー5日目
2019 by Keio Fashion Creator
>>―今回製作したルックについて教えてください
そもそものテーマとして、「自分にとっての美しいもの」から派生して考えていて。「美しいもの」と今回のテーマ(Impression)を重ねて考えてみると、まず偏見と本質に分かれていると感じました。偏見とは何かというと、表層の純度の高さだと思っていて... -
デザイナーインタビュー4日目
2019 NAOKI OHATA by Keio Fashion Creator
・ルックのテーマを教えてください 「表層と本質」です。 ・今年度のショーテーマは”impression”ですが、ルックのテーマとの関連性を教えてください。 人はまず物事をほとんど視覚のみで判断し、認識するので、その本質を一度で捉えるのは難しいと思います。人間の第一印象や第二印象と同じです。...
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デザイナーインタビュー3日目
2019 RUI NAKANO by Keio Fashion Creator
・ルックのテーマを教えてください。 「人間性」です。・今年度のショーテーマは”impression”ですが、ルックのテーマとの関連性を教えてください。 私が普段感じる人間に対するimpressionを表現しました。・デザインをする上で何かインスピレーションを受けたものはありますか? モネ展で見た印象派の絵画からインスピレーションを受けました。...
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デザイナーインタビュー2日目
KEITA MATHUMOTO by Keio Fashion Creator
・ルックのテーマを教えてください。 「雑草」です。・今年度のショーテーマは”impression”ですが、ルックのテーマとの関連性を教えてください。 雑草は一見邪魔で地味な存在(First Impression )です。でも目を凝らすと、大輪の花よりも健気で美しい(Last impression )。その美しさを知ってしまうと思わず二度見してしまう不思議な存在です...
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デザイナーインタビュー1日目
2019 by Keio Fashion Creator
デザイナー5名へのインタビュー ①森本未空さん ②ハセベチカさん ③佐藤大輝さん ④和田実桜さん ⑤辻 巽さん ・ルックのテーマを教えていただきたいです。 Instagram上だけ着飾り、ありのままの姿を失ってしまった女性をテーマにしました。 ・ショーテーマ”impression”との関連を教えてください。...
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「着物」
2019.11.13 KANON KURODA by Keio Fashion Creator
皆さんは日ごろから着物に触れているだろうか。少し前に成人式の前撮りで振袖を着た。私は日常的に着物を着用しているわけではないので、どこか非日常にいざなってくれた感じがして、気持ちが高ぶった。着物というものにとても魅力を感じた。 なぜ私は着物を魅力的に感じるのだろう?...
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流血するファッション(思想1)
2019.10.29 HAYATO KITAZAWA by Keio Fashion Creator
ファッションに影響を及ぼす三大要素。すなわち、労働とスポーツと戦争。仕事をするための服があり、競技をするための服があり、殺すための服がある。衣服のデザインは、これら3つの活動に必要な機能から生まれ...
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最初のヴィンテージジーンズ
2019.11.06 KAZUYA IWAMOTO by Keio Fashion Creator
男性でも女性でも、ファッションを気にするか否かに関わらず一度も履いたことがない人はいないであろうとも言えるジーンズ。さらにいうと、洋服好きな人なら一本は欲しい最高の一本。今回は先日僕が手に入れた最高の一本について書きたいと思います...
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偏見
2019.11.06 MARUNA KAWASHIMA by Keio Fashion Creator
受験が終了し、現在通っている大学への入学が決まったとき、私が真っ先に心配したのは異郷の地での一人生活や、一からの人間関係の構築などよりも、自分の外見についてだった。大学のカラー的に女性はキラキラしていて身につける...
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無言の主張
2019.10.28 MOE NAKATA by Keio Fashion Creator
私は言葉で表現することが苦手だ。人と話していても自分が心に抱いていることをうまく言葉にして表すことが出来ない。大人数で話すときは尚更話に入ることが出来ず、大人しい人だと認識されることもある。だから私はこのブログを書くのにも苦戦している。このブログでは...
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エシカルファッション
2019.10.27 NODOKA JIN by Keio Fashion Creator
皆さんはエシカルファッションという言葉を知っていますか? エシカルファッションフォーラムはエシカルファッションを次のようなポイントで定めています。 1. 衣料品を短いサイクルで大量生産する手法に対抗している 2. 公正な賃金、労働環境、労働者の権利を擁護している...
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READY TO FASHION OFFLINE に参加して
2019.10.31 NODOKA JIN by Keio Fashion Creator
今回は、ReadyToFashionさん主催の就活イベント「OFFLINE」に初参加した部員に感想を書いてもらいました!Keio Fashion Creatorでは毎年部員が多数参加しているイベントで、ファッション業界に興味のある方には...
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何事も糧になる
2019.10.26 NONIKA WAKISHIMA by Keio Fashion Creator
わたしは古着屋でバイトをしています。先日、普段働いていない店舗にヘルプで出勤した日のことを書きたいと思います。その店舗で私は、お店の服で全身をコーディネートしたディスプレイを作るように言われました...
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安藤忠雄から、物作りの極意を学ぶ
2019.10.29 YUTO TANISHIKI by Keio Fashion Creator
私は美しい建築が好きだ。とは言っても建築家を目指しているわけではなく、何か専門的なことを学んでいるわけでもない。ただ、好きなのだ。何か美しいものを作り出すことは容易ではない。ただでさえ困難なのに建築といったらあの規模だ。日本を代表する建築家、安藤忠雄はそれをこなす...
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初めてのサービスシューズ
2019.10.09 KOHEI EGUCHI by Keio Fashion Creator
先日下北沢のとある古着屋で購入したUS NAVYのサービスシューズのついて、その購入 の経緯等を紹介しようと思います。 サービスシューズとはその名の通りUS NAVY(アメリカ海軍)で支給されていた靴です今日の革靴は全てこれを元にしているとのことです...
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私が憧れるもの
2019.10.20 AI YAMAZUMI by Keio Fashion Creator
CHANEL, LOUIS VUITTON, Dior, GUCCI… 憧れのブランドは?と聞かれたら私はすぐにこれらのブランドを挙げる。物心ついた時からずっと憧れているのがいわゆる「ハイブランド」と言われるものだ。きっかけは何だったのだろう。 最も大きかったのは母からの影響だと思う。...
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文学の中のファッション⑴
『ノルウェイの森』2018 Mariko Minagawa by Keio Fashion Creator
本の世界にいるのがとても好きだ。文章を想像して、頭の中で場面を描く。自分はそこにいないのに時間や空間を超えた体験ができるような錯覚に陥る。自分が主人公でいるような気になることもあれば、場面を傍観者の視点で見ている...
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デザイナーインタビュー〜鈴木新〜
2018 Arata Suzuki by Keio Fashion Creator
先日のデニムアクトナイトで出展した作品は他の学生団体デザイナーや服飾専門学校生を抑えChristian DADA賞・グランプリをW受賞。さらに大学での建築においてもその力を遺憾なく発揮し、コンテストでは1位を連発。今回は、ファッション・建築の両方で業界から才能を認められ...
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ファッション史にみる女性解放問題
2018 Mariko Minagawa by Keio Fashion Creator
私たちは毎日当たり前のように服を着る。なんのために服を着るかと深く考える機会はそう多くない。服は巷に溢れていて、私たちは当然のようにそれらを買い、当然のように身につける。その動作は自然で、朝起きて服を着ることに疑いを抱く時間などない...
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僕の服を買う基準
2018 Ryusuke Tanamura by Keio Fashion Creator
そもそも僕が服を好きになったのは高校2年生の冬。自分はバスケットボールをやっていて、そこで出会った友達がファッションが好きでカッコよく、魅力的に感じ、そこから僕のファッションライフが始まりました。当時はあまり趣味もなく、山口という超田舎な環境だったため...
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なぜ服を着るのか
2018 Yohei Okamura by Keio Fashion Creator
人はなぜ服を着るのか?考えたことはあるだろうか?ちなみに今回このブログを書くまで自分は真剣に考えたことはなかった気がする。着るのだから着る。いいと思うから着る。かっこよく、自分が等身大よりよく見えるために着る。きっと理由は様々だ...
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“めんばーのふだんぎ。”
2018 by Keio Fashion Creator
2018年7月15日、確か日曜日、夜8時。立教大学の服飾団体「FDL」のショー帰り。嫌な湿気が漂う熱帯夜であり、億劫な気分になる。気候は人々が着る服を選定する上で重要視される要素である。夏は特に私たちに対し着る服を制限してくるが、私たちはその時着たい服を着たい...
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実店舗はショールームであるべきだ
2018 Ryubi Fukuda by Keio Fashion Creator
私はセレクトショップで店頭販売員として働いているが、その仕事は店頭での接客だけではない。店舗に在庫を常に抱えている為、そのしまい込みや店頭出しの作業、店舗間での商品の移動処理もする。レジも打たなければならないし、売上入力などの事務的な仕事も多い...
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衣替えの季節に考えること
2018 Mariko Minagawa by Keio Fashion Creator
今年もまた、衣替えの季節がやってきた。暑すぎる夏が終わり、やっと秋服が着られると意気込んでいたかと思えば、まるで冬がすぐそこにあるかのように冷たい空気に驚いてしまう。例年に比べて今年は特に、衣替えのタイミングには頭を悩ませることになりそうだ...
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スカジャンのすすめ
2018 Kie by Keio Fashion Creator
突然ですが、みなさん、「スカジャン」って着たことありますか? きっとほとんどの方がご存知だとは思います。ですが、着たことある人やスカジャンを持っている人って、私の周りにはほとんどいません。「世代の違い」というのもあるのでしょうか...
人と違うということ
Minagi Shinohara 2021 9.28 by Keio Fashion Creator
「変わってるね。」
私はこの言葉に疑問を覚える。この言葉を聞くと普通であることが正しいと諭されている気がしてならない。
私がこの言葉をかけられることが多いのは名前である。読みにくい漢字。自己紹介をすると例外なく聞き返される名前。“変わってない”名前をもつ人が羨ましかった。その他にも、自分の言動に周囲との差を感じることは少なくなかった。その度に自分が“変わってる”ことを恥じた。
あるとき、それでは“変わってない”人とはどのような人なのか、と考えた。大勢と同じものを持ち、同じ行動をし、大勢に紛れるような装いをしているのだろうか。少し味気なくて寂しい気がする。そもそもそんな人は存在するのか。
私は“変わってない”人など存在しないと思う。自分の家族や友達、誰にでも少なからず変わってるな、と思う部分がある。好きなこと、持って生まれたもの、考え方や癖、人には必ずどこかで“変わってる”部分があるのだと思う。そしてそれこそが個性であり、自分の中で何より大切にすべきものであるように感じる。そう考えると、自分の名前も個性として愛することができる気がした。
これは逆に「私は平凡な人間だから」とか「自分には才能がない」と感じている人にも伝えたい。自分の中には“変わってる”部分がきっとある。それをみつけて、大切にしてほしい。人と違う部分は、自分が代替不可能であることの証だから。
見えないファッション
yuma kumatoriya 2021 9.21 by Keio Fashion Creator
シーンに合わせて服装を決めるように、纏う香りを決めることは私の1つの楽しみである。
同じ服装でも、香りを変えるだけでその日の自分の世界観が変化するのである。
特にお気に入りの香りを纏った日は、ふとした瞬間に漂う香りに幸せを感じる。そして同じような香りがする人に出会うと、何となく嬉しい気持ちになる。
その人の装いがその人の個性を表すように、香りもまた、それぞれの個性を表すものであると思う。服と同じくらい幅が広く、私たちの生活とは切っても切り離すことのできないもの。
目に見えなくとも個性を表し確実に印象を残すファッション、それが香りであると思う。
みんなに持って欲しいマインド(自分の経験談が多め)
Koki Kanamori 2021 9.21 by Keio Fashion Creator
私はすごくポジティブな性格なのだが、その所以は今まで育ってきた環境によるものだと思っている。たしかに先天的な性格というのも存在するだろう。だが、親や親戚、友達や学校など、若いうちに周りから受ける影響というのも計り知れないはずだ。私自身、もし家族が今とは異なる性格で、もし違う学校に通っていたら今とは違う人生を歩んでいただろうと断言できる。
これを読んでくださっている方々が興味を持ってもらえるかはわからないが、話を私自身について絞りたい。私は人に話せない秘密のようなものが5、6個ある。これから先、その秘密を他者に言うかどうかはさておき、私の人格の3割はその秘密によるものだと考えている。自分の秘密が言えないからこそ、相手にも何かしらの秘密があり、抱えている闇があり、踏んでいはいけない地雷があると少し過剰に考えてしまうのだ。それは逆もまた然りで、相手が自分にとって好きでない人であれば地雷に掠るような言動をしてしまうこともある。良し悪しに関わらず相手を観察し相手を考え相手を思いやることはとても面白い。自分にとってマイナスになることもあまりないため、「人には誰しも地雷がある」と考えて行動することを是非薦めたい。
次に、私の人格の他の3割を形成することとなった別の環境について述べたい。私は二者の板挟みになることがとても多かった。喧嘩をしては双方をなだめ、アドバイスし、妥協させていた。それはストレスの溜まる出来事であったが、得られた恩恵も今思えば大きい。二者の内一方のことが嫌いであったが付き合い上嫌々話をしていたこともあったし、もちろん両方好きな場合もあった。どちらにせよ私が言いたいのは、柔軟で寛大な心をもつべきだということだ。どちらかへの偏りはなるべく平らにすべきだと思う。経験上、自分の過ちを棚に上げ相手の過ちだけを責めていた人や、自分の言うことが正しいと言い切る人もいた。そういう人たちは逆に分かりやすく、客観視するだけならむしろ興味深い。だがそのような人がなるべくいないようになってほしいと願う。
実力主義ではなく、胡麻を擂って生きていく日本の社会は近年批判視されることが多い。だがそのような生き方は皆が心地よくいられるための一環なのだと考えた時、胡麻を擂る行為は必ずしもマイナスとして評価されるべきではないだろう。もちろん自分の意見を通さず相手に媚を売り、ヘコヘコして生きるのはよくない。自分の中の芯を貫き、かつ相手の意見も組み込む行動が大事だ。SNSで当たり前のように誹謗中傷をする人をたまに見かけるが、そのような人には柔軟な精神から生じる心の余裕がないのだろうか。批判と中傷をきちんと分別し、自分だけが正しいと思わない人が増えてほしいと思う。
p.s. このようなことを書きましたが僕自身よく偏見とかします、ごめんなさい。気をつけます汗
あと、お堅いのに首尾一貫性のない文になってごめんなさい、vlogだというのを忘れてました笑
次は可愛い文にします!
レポートみたいになっちゃった汗
流行のサイクル
nao matsushita 2021 9.21 by Keio Fashion Creator
「昔おばあちゃんもそんなの着てたわよ」私が祖母宅を訪れると真っ先に言われる言葉だ。
あんな古い服保管してれば全部あげたのに、もう着ないと思って処分したのよ、とこぼす祖母を見て、流行の繰り返すサイクルについて考えずにはいられない。現に〇〇年代ファッションという言葉がそれを表象しているだろう。
例えば昨年は、欧米ではターバンやカーディガンなどパステルカラーのアイテムや、スクールガール風の80年代風スタイルが流行り、それがだんだんビビットな色合いに変化した。そのあたりから、ポップなビーズのアクセサリーや、ヘアバンド、ローライズジーンズなど2000年初期を匂わせるような服装が流行った。特に最近は、フリマや古着屋ブームが訪れ、さまざまな時代を反映した洋服を手に入れることが簡単になっている。
時代遅れ、今風、若者服というコトバが形骸化する時代に、私たちは何をみてかわいい、美しいと思うのだろうか。こんなに世の中が目まぐるしく変わり続けても、人々が着たいもの、身につけたいものが変わらないのだから、ファッションは面白いなあと思うのだ。
今日はおばあちゃんのベストを着よう、明日は母のお古のジーンズを、そしてその次の日はこの前買った古着を。
そうやってぐるぐるぐるぐると、私たちは流行のサイクルを回り続けていくのだろうか。
Met Galaの野次馬をした話
Momoko Sugita 2021 9.21 by Keio Fashion Creator
Met Gala(以下メットガラ)をご存知だろうか。メットガラとは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で例年開催されているファッションの祭典である。また、同美術館で開催されるファッションの展示会のオープニングイベントである。これ以上の情報を知りたいのであれば、ここで一度ご自身でググっていただきたい。というのも、ここでこれ以上の概要を述べるより、より正確な情報を写真付きで知り得た方が印象が掴みやすいだろう。ある程度概要を理解していただけたら、ここに戻ってくるか、またはそのままメットガラの情報集めをどうぞ。
さて、この部分を読んでいただけているということは、メットガラのざっくりとした以上の概要はご存知なのだろう。その野次馬をした話を今回この場を借りて記述しようと思う。
題して、「Met Galaの野次馬をした話」である。
私が野次馬をしたのは、2019年5月6日に開催されたメットガラである。そもそも、野次馬と称しているが、この言葉が一番当時の私の状況を形容できると思い使っているだけで、単純に開催日時にメトロポリタン美術館の入り口付近に行ってみただけであるのをここで断っておく。また、当時から丸二年以上経っているため、記憶が曖昧な部分や、ここに記す情報と現在の情報が異なる場合もあると考える。そのところ、ご容赦いただきたい。
当時の私はニューヨークに住み始めて2ヶ月余り。知らない土地での生活に少しずつ慣れてきた頃であった。以前からメットガラのことは知っていたため開催日時は事前に把握しており、当日は授業終わりにメトロポリタン美術館へ突撃したのである。
美術館周辺は当然規制が張られており警察や警備員が何人も配置されていた。私が会場付近にたどり着いた午後6時ごろには既に大勢の人々が押しかけていたが、人の流れに身を任せていると幸運にも入り口を目視できる位置まで行くことができた。
私がいた位置は図の星マークで示した辺りだと推測する。図からわかるように、間にほどほどに大きな道路があるため真近くというわけではなく、豆粒くらいに小さいが何とか人を判別できるという距離である。
通常営業のメトロポリタン美術館に入館する際は、エントランス前の、コンクリート剥き出しの階段を登らなくてはならない。メットガラ開催日のその場所は白い幕にすっぽりと覆われており、階段は桃色のカーペットが敷かれ、道路に面した真正面だけが外から見えるようになっていた。
この場所に辿り着いたときには既に続々とゲストが登場していた。私は、大勢の人々の中で揉みくちゃになりながらもスマートフォンでインスタグラムとカメラアプリを交互に開き、自分のお気に入りのモデルやセレブたちを撮影しようと試みた。前述したように、ゲストたちは米粒くらいの大きさで、そのうえ皆ド派手な衣装を着てくる。誰が誰だかわからなくなるので、判別するにはインスタグラムで誰がどんな衣装を纏っているのか確認する必要があった。また、同じように野次馬をしている人たちがゲストの名前を叫ぶのでそこからも情報を得られた(彼らも時々ゲストを見間違えていたが)。
文明の利器と、同じく野次馬と化した同志たちのおかげで、私は幾人かのセレブを撮影することに成功した。本当はこちらに写真をアップして、このブログを読んでくださっている方にも共有したいのだが、諸々の権利によってそれが難しそうだと判断したためここは自粛させていただく。
私の位置から見えた場所、つまり白いテントの中はどうやらメディア向けの撮影を行う場所だったようで、ゲストたちが入場している間は休む間も無くカメラのフラッシュが焚かれていた。そしてゲストたちはそのカメラに向けてポージングをとる。ネット上で「メットガラ」と検索して出てくるセレブたちの写真は、おそらく大多数がこの場所で撮影されたものだろう。ゲストたちは身に纏っているルックを存分にアピールしながら、美術館へと入っていくのであった。
気つけば、密集した中に居続けて2時間半が経過していた。立ちっぱなし、(撮影するために)腕を上げっぱなしであったため疲れが出てきた私は帰ることにした。帰ろうとして白のテントから目線を外したところで、すぐそばの街路樹の根元に植えられていたチューリップが踏み潰されていることに気がついた。煌びやかな世界へと行っていた意識が、ぐんと一気に現実に引き戻されたようだった。
後日、メトロポリタン美術館を訪れ、ファッションの展覧会を見ることにした。日本の美術館は常設展と特別展で入り口が違ったり、それぞれチケットが必要になったりするが、メトロポリタン美術館では常設展の中にこのファッション展が設けられていた。メトロポリタン美術館はとても広いし、所蔵品も尋常じゃなく多い。なのでファッション展のブースまでたどり着くのに迷うのだが、迷ったら迷ったで他の展示品が見れるので楽しかったのを覚えている。時間に余裕があるときはそれで良いのだが、時間がないときは兎に角焦ることになるので注意が必要だ。
やっと見つけたファッション展の入り口はピンクの壁に囲まれていて可愛らしい雰囲気だった。展示内容はテーマの為か視覚的に楽しませてくれるものが多く、ファッションについてあまり詳しくない私でも充分に楽しめる展示内容だった。
帰り道に野次馬をしていた場所を通ってみると、もうそこには踏み潰された花はなく、全く違う花が植えられていた。
と、まあこんな感じに振り返ってみた。もともとこの経験を文字に起こすことなんて考えていなかったので印象に残っている部分しか書けず、拙いものになってしまったと思う。最後のほうで踏み潰されたチューリップに触れているが、本当に可哀想なくらいぺちゃんこだったのだ。私が直接踏み潰したのではないし、もしかしたらメットガラの前から踏み潰されていたかもしれない(高い確率でそれはないだろうが)。直接その場面を見ていないからわからないことだが、それでも私が一因を担っているような感覚に陥った。理想や空想に囚われて、現実が見えていなかったことを指摘されたようだった。正直、この花についての記述は話の流れからして蛇足な気もした。しかし、メットガラを野次馬した経験を語るうえではどうしても欠かせない個人的な心情がその部分に宿っているので入れさせてもらった。
こんなに稚拙な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。それでは。
魅惑のグルメエッセイ
Hiyori Iwase 2021 9.14 by Keio Fashion Creator
私はグルメエッセイを読むのが好きだ。一時期は本屋で見かけたら絶対に買う、というマイルールを持つくらいハマっていた。グルメエッセイの魅力は何といっても、文字という視覚で味覚を感じられることだ。時には嗅覚や触覚まで呼び起こされる。
「サクサクで黄金色のアジフライ」
「ムチムチに生地が詰まったベーグル」
「テリっとしているタレのかかったご飯」
ありありと情景が思い浮かべられるような素敵な文章に出会うと、食欲だけではなくときめきすら覚えてしまう。また食べ物は季節を連想させるものが多い。
「暑い夏に食べるガリガリのシャーベット」
「冬にハフハフと食べるおでん」
と言われると、その季節ごと感じることができる。時空をも超えた体験を、グルメエッセイはもたらしてくれるのだ。
たくさんのお店に行くことが難しいコロナ禍の今、文章で食体験をするのはどうだろうか。ちなみに私は、平松洋子さんのグルメエッセイが大好きです。
ゴルチエのプレタポルテ復活とsacai×Jean Paul Gaultier のカプセルコレクションについて
ryotaro hayashi 2021 9.14 by Keio Fashion Creator
ゴルチエは2015年ssのコレクションをもってプレタポルテから撤退した。それからはオートクチュールとフレグランス事業、アクセサリーなどに専念してきた。さらにゴルチエ自身は2020年のオートクチュールをもってファッションデザイナーを引退した。その後のブランドは、毎シーズンゲストを迎えてコラボラインを発表するという経営方針をとるようになった。記念すべき第一回のコラボレーションは、ドメスティックブランドのsacaiである。
なぜゴルチエは第一回目で日本のブランドを選んだのか。これはゴルチエ本人のキャリアに関係していると考える。彼はピエールカルダンのデザイナーとしてキャリアをスタートした。そこで彼にデザインを教えたのが当時のデザインアシスタントのナオヒラカワである。彼は彼女から日本の繊細な感性を体験し、1976年に自身のコレクションを発表した。
それがオンワード樫山の馬場社長の目に止まり、資金面の補助を受けてブランドを立ち上げた。彼なりに、日本への恩と親近感を感じていたからこそ、一回目のブランドにsacaiを選んだのだと考える。
そんな私は、初コラボを記念すべく、タトゥーが掘られたように見えるポリエステルのピチッとしたシャツを購入した。一週間もしないうちにそれは届き、実際着てみると、思ったよりも小さめなサイズ感で、とても体にフィットした。肌の色も私の地肌に近い色で、実際にタトゥーが入っているように見えた。母親に見せると、ギョッとした目で見られたが、多分周りから見たら相当怖い人なのであろう。今回のコレクション、とても気に入ったので次回のコラボレーションも目が離せない。
それぞれ違う人間
kokona umebayashi 2021 9.14 by Keio Fashion Creator
私は私しか居ない。私と同じ顔で同じ性格で同じ人生を歩んでる人はいない。ふとした瞬間にそう考えることがある。
色々な環境で新しい人と出逢うと、自分が得意だと思っていたこと、自信のあったことでも上には上がいることを実感して、自信を失いかけてしまったり、自分と他人とを特定の部分や、何かにおいて比較したりして、自分は劣っているように感じ、ネガティヴになってしまうような経験はないだろうか。私は何度かある。
しかし、自分と他人ではそもそも全く違う人間なのであって、比べる必要などないことに気がついた。誰も自分になることはできないし、自分の人生は自分にしか歩めないものであるということ。
また、長所が何かわからないと迷うこともあるかもしれないが、みんな違う人間なのだから、その存在自体が唯一無二で、特別であること。だから、自分を認めて、自分の人生の主人公として生きるんだ。くらいの考えでいることで私は少し楽になれる様な気がする。
one of the top
akari ono 2021 9.14 by Keio Fashion Creator
「one of the top」 英語の不思議な言い回しだ。一番なのに、いくつもある。いくつもあるナンバーワンのうちの一つ。この不思議な言葉が私のコンセプトだ。高校生の私が、自分だけの服装、自分だけの個性、自分だけの魅力を手に入れようと躍起になっていたときに、友人がふと発した一言から生まれた大事なコンセプト。
「どんなに個性的な服を着ても、結局どっかのカテゴリに収まっちゃうもんだよね。」
私服登校だった高校時代、彼女はたくさんの生徒の中でもひときわ個性的でモードで洗練された装いだった。密かに憧れだった彼女のこの言葉に、肩の荷が下りたような、はたまた呆然としたような、そんなへんな気持ちになったのを今でも覚えている。あなたでさえそう言うのか、と。
彼女の言葉を聞いたあのとき、ファッションは例えるなら本じゃないかなと思った。どれだけ奇想天外・唯一無二の物語であっても世に出されたその瞬間に独立性を失う。ミステリ、ファンタジー、コメディ、ラブ……あらゆるカテゴリと照合されて、これはそこ、それはここ、といったふうに、多少強引であっても分類されていく。あてはめられていく。これは少しさみしいことだけど、でもそれじゃあ、同じカテゴリの本は瓜二つ?そっくり似通った内容?違う。一つ一つの本にはその作者の特色があって、バックグラウンドがあって、異なったファンがついてる。それぞれの強みと魅力と需要がある。
何が言いたいかというと、”the top”ではなくていいということだ。例えば、かわいいのtopとか、モードのtopとか…シャツを着こなす部門topとかでもいいと思う。ファッションに限らなくてもいいと思う。なんだっていい。数あるtopの中の一つ、”one of the top”を目指したい。唯一の頂点を取れなくていい。「いちばん個性的」でなくていい。数あるステージの中で、自分が最も輝く装いの一つを見つけたいと思う。
私の特技
konoko 2021 9.07 by Keio Fashion Creator
私は特技は、「睡眠による幸せの記憶、不幸せの忘却」である。一度寝ると、不幸せを忘れ、幸せのみを記憶する私の脳は便利で都合が良い。ここでは、「自分は幸せである。」と胸を張る私が最近感じた幸せをリスト化しようと思う。
・昼にステーキを食べた、幸せ。
・本屋で面白そうだと衝動買いした本(ものがたりの家ー吉田誠治 美術設定集)が面白かった、幸せ。
・釣りバカ日誌の登場人物に由来する、すーさん(ガジュマル)が大きくなった、幸せ。
・日曜夕方六時から始まる「ちびまる子ちゃん」に二週連続で間に合った、幸せ。
・電車に乗車中、急カーブでうねった後の直線走行で最後尾車両まで見えた、幸せ。
・「ちびまる子ちゃん」を見ていたら、面白いセリフ(ヒロシ:うるさい!男ってもんはなぁ、女との約束なんてすっぽかした上に、屁の一発でもこいてやるくらいの心意気が肝心だ。)と出会った、幸せ。
・録画し忘れたと思っていた番組が、前番組の録画取り消し忘れで録画されていた、幸せ。
・好きなバンドの新曲が最高だった、幸せ。
・何となく映画館に行ったら、レディースデーだった、幸せ。
・一限に間に合うか間に合わぬかの瀬戸際で歯磨き粉が無くなっている事に気がつき、「万事休す!」と思ったが、昔の冷静沈着かつ冠前絶後な私がストックをしていた、幸せ。
(※一限には遅刻したが、極めて幸福。)
・コンビニでドラゴンボールマンチョコを買ったら、ナッパが出た、幸せ。
・雨予報で傘を持たずに家をでてかなり焦ったが、結局雨は降らなかった、幸せ。
・初めて2時間の入浴に成功した後のアイスが美味しかった、幸せ。
かつての服たちへ
Kyoka Hashimoto 2021 9.07 by Keio Fashion Creator
私は幼少期の頃から自己主張ができずに他人の顔色ばかり伺ってしまう性格だった。
その性格は当時の私の服選びにも表れていた。例えば、母が私に買おうとしてくれている服がたとえ私の好みではなくても、服を買ってもらえるのならばと喜んでいるフリをした。2歳年の離れた従姉が服を譲ってくれるとなった時には、それが自分の好きなスタイルの服とは違っていても、たくさん着るねと嘘をついた。母も従姉も私が着る服を強制してきたことは無い。ただ幼少期の私が、自分の身近な人からの優しさをどうしても断ることが出来なかっただけなのである。そうして私のもとにやってきた服たちの大半は、日常生活で大切にされずにすぐ汚されたり、あるいは着られることなく捨てられてしまった。そんな日々の中で中学時代の私は洋服に対してなんのこだわりも持たなくなってしまっていた。
そんな私がファッションが好きだと気づいたのは高校時代のことである。きっかけは高校でできた友達がすごくオシャレでファッション通で憧れだったからだ。アルバイトで自分のお金を手に入れた私は、その頃から自分の好きなスタイルやこだわりを探すようになった。その最中で、またもやたくさんの服を好みではなくなったなどの理由から手放した。つい最近になってようやく私は自分の好きなファッションを確立し、服を無駄にすることもかなり少なくなった。
私はこのようにしてこれまでの人生でたくさんの服を無駄にしてしまったことをとても後悔している。しかしその後悔の一方で、服によって気づいたこともある。それは自分の好きを主張することの大切さだ。もしもかつての私が自分の好きな服をきちんと主張できていたならば、買ってもらった服を大事に着ただろうし、服を買ってくれた母は長く着てくれることを喜んだだろう。また、幼少期から中学生までの成長期で服を買い換える必要があったのならば、その時期こそ自分のスタイルを探す良いチャンスだったのではないか。これからはこの後悔と気づきをもとに、自分の好きな服を身につけ、自分の好きをファッションで表現できる人間に変わっていきたい。そしてその変化がかつての服たちへ感謝を伝える方法になればいいなと思っている。
僕の好きなマガジン
daiki adachi 2021 9.07 by Keio Fashion Creator
僕はstudyというインディペンデントマガジンが好きである。とかいって実物を買ったことはまだないんですけどね。だけど、studyのインスタグラムから垣間見える雑誌の雰囲気がとても魅力的で、なんといっても編集長の長畑さんはファッションに対してとても博識で、貪欲で、寛容で、、とにかく面白い人ってのが伝わってきて、誌面を見る前から魅了されている。
特に僕が好きなのはスナップで、studyのポストするスナップは、ハイエンドなブランドから、はたまたメルカリでゲットしたような服を組み合わせるみたいなボーダーレスな感じなスタイリングになっていて、正直、ぱっと見「それオシャレなんか」って思う人多々いると思うけど、そんなちょっと違和感を感じるスタイリングがなんだか心地よくて見てて楽しくなる。ローカルかつナードなファッションお求めの方オススメです。
STUDY MAGAZINE
@magazinestudy
自意識の話
akari ono 2021 9.07 by Keio Fashion Creator
Who decides who I am?いったい誰が、私という人間を定義するんだろう。
自意識という言葉がある。意味は、「自分自身についての意識、自我の意識」。私はこの自意識といつも闘っているような気がする。自分勝手な言い方をさせてもらえば、自意識に苦しめられている。太宰治のダス・ゲマイネには自意識についてこうある。
『僕はむずかしい言葉じゃ言えないけれども、自意識過剰というのは、たとえば、道の両側に何百人かの女学生が長い列をつくってならんでいて、そこへ自分が偶然にさしかかり、そのあいだをひとりで、のこのこ通っていくときの一挙手一投足、ことごとくぎこちなく視線のやりば首の位置すべてに困じ果てきりきり舞いをはじめるような、そんな工合いの気持ちのことだと思うのですが、もしそれだったら、自意識過剰というのは、実にもう、七転八倒の苦しみであって……』
また、
『ごらん下さい、私はいまこうしています、ああしていますと、いちいち説明をつけなければ指一本うごかせず咳ばらい一つできない。いやなこった!』
自意識/自意識過剰はすごくかみ砕いて言ってしまえば「他人の目を気にすること」だ。太宰の言葉に、誰でも思い当たることがあるんじゃないだろうか(どうだろう、ない人もいるかも)。レジで財布を開く手がこわばったり、両手の適切な位置が分からなくなってむずむずしたり。こういう、自分の一挙手一投足が不自然でないか、その演出にやっきになって、他になんにも見えなくなってしまうことを私は自意識と呼んでいる。
でもここで一つ重要なことは、私がほんとうに気にしているのは目なんかじゃないということだ。私が気になって仕方がないのはその目に映る私であって、その人の視線そのものじゃない。他人の目は、自分を映す鏡。私は、これが自意識の一番”いけない”ところなんじゃないかと思う。不誠実だと思う。だって目の前のあらゆる人たちを通して見ているのはいつだって自分で、その人自身を真摯に見ることは決してない。自分「っぽい」言動を探すのに必死。それがいけないと自分に言い聞かせても、ずっと人の目(に映る自分)を気にし続けてきた。頭ではわかっているのに…と何度も思ったが、頭でわかっていなくて、じゃあどこでわかっているんだという話だ。
少し話がずれたけれど、自分って誰?ということについて話したい。少し前の文章を借りると、「自分っぽい」って何?ということ。インスタのストーリーとか自分の服装とか発する言葉とか、そういう誰かに見られる・聴かれることを前提にしているものってたくさんあると思うけれども、自分はこういうものを公開(発信?)するたびに、これは結局アピール・演出・ポーズで、本当の自分じゃないんじゃないかとか、本当に好きなら別に自分の中で完結してればいいんじゃないかとかいうふうにぐるぐる考え続けてる。でも結局は誰かに知ってほしくて、そういう自分がダサく感じられて。また自分のことしか考えてない自分に気が付く。けれどもバカのふりはただのバカっていう言葉があるように、あくまで他人の客観があって自分が成り立つという話にも納得できる。私一人じゃ私という人間を証明できないってこと。でもバカじゃない(かもしれない)のは自分で知ってるから証明しなくても別にいいはず。いやでも。
ずっと考えている。私っぽいってなんだろう?何がほんとう?誰が決める?
今はまだただ難しいという一言に尽きて答えが出ないけど、もし画期的な何かに気づいてすべて飲み込める日が来たら、同じようにやきもきしている人を見て、私と一緒だなあと思いながらそっとしとこうと思う。
(つたない文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました!)
街の風景
Kyo Ishibashi 2021 8.31 by Keio Fashion Creator
街を歩いていると、至るところに「デザイン」がある。
世の中にあふれている様々なデザインはどれも、街の風景を構成している。
ビルも、標識も、さらには道路だって、デザインである。
そんな風景を構成する要素としては、人間もあげられるだろう。
ビルや標識は毎日変わらないが、人が着る洋服は毎日変わる。
そう考えると、日々の街の風景を変化させているのは洋服なのかもしれない。
世の中にはいろいろな人がいて、その人たちの持つファッションセンスも様々だ。
自分の着る服が今日の街の一部になっていると考えると、服を選ぶ行為がもっと楽しくなるかもしれない。
ルッキズムについて
sara takeuchi 2021 8.31 by Keio Fashion Creator
最近になってルッキズムに関する話題が増えたような気がする。その背景としてSNSの普及により他人と自分を相対化してみる機会が増え、「他人から可愛く、かっこよく見られたい」や「いいね、フォロワーを増やしたい」などと思う人が増えたからだと考える。それが醜形恐怖症や過度なダイエットによる摂食障害を助長しているという。さらに、「美人は人生イージーモード」「一重には人権はない」などと外見を揶揄する言葉が多く見られる。このような現状を踏まえるとルッキズムは我々を生きづらくしている。
一度しかない自分の人生を他人の目を伺いながら生きるのは窮屈だろう。今後ルッキズムにとらわれることなく、ありのままの自分を愛し生きる人が増えれば良いと思う。しかし、ルッキズムが批判される中で理想の自分を追求し続けるヒトの努力を否定してはいけないと私は思う。誰もが各々のコンプレックスを抱えているわけで、それをなくすためにメイクやダイエットを頑張っている人がいる。矛盾しているが、やはり自分の一度きりの人生は最高の自分として生きたいという気持ちは捨てきれない。これらの線引きは難しいが、他人のために送る人生ではなく、ありのままの自分を否定せず自分の満足いく人生を送ることが根本にあるのかなと私は考える。
映画とファッション
YU MURAI 2021 8.31 by Keio Fashion Creator
私は映画が好きだ。基本的に洋画のみだが、ジャンルや作成年代に拘りはなく幅広く観る。その中で、やはりファッションというのは映画の中で大きな役割を果たしていると思う。映画にはさまざまなキャラクターが登場する。そして、そのキャラクターをそのキャラクターたらしめているものがファッションではないだろうか。
特に学園ものの映画ではそれが顕著だ。そのキャラクターが着てる服を見るだけでそのキャラクターがいわゆるスクールカーストのどの位置にいるのか観客は判断することができる。例えば体育会のジャージを着ている男子や少しタイトな服装をしている女の子たちはトップ層だと私たちはすぐにわかる。つまりファッションによってキャラクターのカテゴライズ化が可能なのである。
ファッションとは自己表現である。自分がなりたいもの、自分自身を着ているものを通して表現する。しかし、映画にみられるようにこういうタイプの子はこういう服を着るというステレオタイプがすでに出来上がっている。そう言ったものに縛られず自分のファッションを私は大事にしていきたい。
歳を取ること、スタイルの変容、そしてダンディズムについて
haruki sugiyama 2021 8.31 by Keio Fashion Creator
じめっとした日本特有の蒸し暑さの中に、どこか猛暑の訪れを予感する時期になってきた。
このようなありきたりな季節の挨拶で文章を始めたくないのだが、今僕の頭の中には猛烈な暑さを耐え凌ぐだけの衣服を持ち合わせていないという現状への危機感以外何も頭に浮かんでこないのだ。
夏になるといつも僕が思い出すものは、日が伸びて葉が芽吹く自然の移り変わりを感じながら、まだ明るいうちに風呂に入るその情景だ。
僕の実家は静岡の自然の中にあった。木々が生い茂っていて隣の家から見られる心配もないので、窓を開けきり、大きな浴槽で足を存分に伸ばしながら風呂に入る。
いつもは遅い時間に風呂に入る僕も、この季節が訪れると自然と心地よい時間に風呂に入るのが僕の中でのルールだった。
上京した今、静岡にいた頃とは違いここはずいぶん自然が少ない。一人暮らしの部屋は狭く、かろうじて浴槽はあるものの、足を伸ばすこともできなければ開ける窓もない。
さらには、東京の夏の暑さというのは静岡のそれとは全く別物だ。コンクリートが反射する熱射とビルの間を吹き抜ける熱風は、想像するだけで気が遠くなる。上京したことで、僕の中での『夏』への憧憬は全く消え失せ、一刻も早く過ぎ去って欲しいだけの地獄でしか無くなってしまった。
このように個人の価値観ですら歪めてしまう東京の暑さを乗り切るには、やはり気温にあった服選びが欠かせないのではないか。強烈な暑さを前にして、あまり好き好みは言っていられない。Tシャツやタンクトップ、薄手のパンツ、サンダルなどがなければ東京の夏は間違いなく乗り越えられないからだ。
しかし、ここでまた一つ問題がある。散々夏の暑さについて文句を書いていたにもかかわらず、僕はTシャツを全く持っていない。それは、僕がTシャツを好まないからなのではなくて、もともと持っていたのだがそれをどうしても手放したくなってしまったからだ。
なぜ、ファッションが好きな僕が服を手放してしまったのかについて語る上で、歳を取るということについて少し考えてみたい。
僕は4月の初旬に21歳の誕生日を迎えたのだが、僕にとって21という数字はどこか重く、あまり嬉しくはないものだった。
というのも、まず19歳までは親が一緒に祝ってくれていたしまだざまざまな点で子供だった。というよりも、子供であったとしても許される年齢だったのだろう。20歳は法律上大人と認められる歳で、酒を飲むことも煙草を吸うことも合法になる。そういう意味ではお祝い的な歳であるし、友達が盛大に祝ってくれるということもあって、まだティーンエイジャーとしてのノリが残っていたような気がする。
しかし、21歳というのはこれまでとは明らかに違っていた。誕生日を迎えるにあたって、僕は本格的に気が重くなり出していた。流石にもう笑えない年齢なのではないか…と。
もっと年齢を重ねている人にこの話をすると、まだ若いのに何を言っているんだと言われるのだが、そう言う人に誕生日について聞くと、大体「気が重くて楽しいものではない」と言う。僕が『ついに笑えない歳になった』と感じるのはこの部分である。自分より年齢を重ねている人と『誕生日』という記念日に対して同じ価値観を共有し始めてしまった、という点だ。そして、歳をとっていくことに対して、かなりの恐怖を感じているのである。
というわけで、一般的に節目の年といえば20歳のことを指すのだが、そのような理由で僕にとって節目の年は21歳であったように感じられる。
しかし、視点を変えて考えれば、それは精神的な意味での成人と捉えることもできるのかもしれない。今までは祝事のように誕生日を扱っていたが、周りの大人たちはそう言った若気のノリで誕生日は迎えることはせず、淡々と過ぎる日常の一部として消化しているのだろう。そして、僕も今後そのように歳をとっていくのだろうと悟った時点で、ある種大人の仲間入りをしたという認識も正しいのではないだろうか。
さて、ここで服に話を戻したい。
僕がTシャツ(正確にはそれを含めたあらゆる服)を手放してしまった理由は、年齢に対する自覚が大きく関わってきている気がする。メゾンマルジェラの『タビブーツ』が履けなくなってしまったことがわかりやすい例だ。
履けなくなったというのは、僕の気持ちが”6.5cmのヒール”に全くそそられなくなってしまったという意味だ。これまではヒールが高く少し攻めていて尚且つマルジェラの意志を纏っていると感じられるようなアイコン的存在であるタビブーツが、好きでたまらなかった。しかし、21歳になって突然気が変わってしまった。少し無理をしてでも異色さのある服装をすることに対して、とてつもない嫌気がさしたのだ。
それは大人の余裕を感じられるようなファッションがしたくなったからなのかもしれない。僕がTシャツを全て手放した理由はここにある。僕はTシャツに対してどこか『子供っぽい』という印象を持ってしまっていたのだ。
後々考えてみればこれはとても安直過ぎる考えだったと反省しているのだが、それでもやはり持っていた服を大量に手放したことに対して一切の後悔はない。
なぜなら、これをきっかけに僕は本当の意味で”大人な服装”すなわち、ダンディズムについて真剣に模索するようになったからだ。
ファッションにおいてダンディズムはなかなか奥の深いものだ。記号論で著名な哲学者ロラン・バルトは『ダンディズムとモード』のなかで、「ダンディズムとは、卓越したものの衣服をある絶対的ロジックに従わせて、過激なものにしようと決意した男のことである」と定義付けられている。さらに、「彼が自分の衣服を読ませようとする相手は、いかなる比較項も持たない、純化された自己自身」であると書かれている。
これはつまり、ダンディズムにおいて重要なことは年齢ではなくて、自分の装いに対する絶対的な執着であると言えるような気がする。つまり、純粋にお年を召した人が着ているからと言ってその服が”大人っぽい”と言えるわけではない。逆を言えば、20代・30代でも大人を感じられる余裕のある着こなしをしている人は多くいる。大切なことは、自分の中で絶対に揺らがない信念があり、それに基づいて服を選ぶということなのではないか。
そして僕は21歳を迎えて以降、この”信念”を探す旅に出た気がする。自分の中で自身の装いをロジック化し、他人と比較するよりもまず自分がその信念を突き詰め続けること。これが本当の意味での男のカッコ良さなのかもしれない。
その信念の一部として、『Tシャツを着ないこと』があるのはどこか間違っているかもしれないが、少なくとも『気に入らない服は着ない』ということは正しい選択だったと言えるだろう。
さて、暑い季節がやってくる。
自分の信念に沿った服選びをすることが、今から楽しみでたまらない。
服を介して
SHIORI NAKAMURA 2021 8.24 by Keio Fashion Creator
私には古着屋さんで購入したお気に入りのスウェットがある。高3の秋、受験勉強の気晴らしに下北沢を歩き回っていたところ、たまたま普段行かないお店に入ったときに偶然出会ったものである。
目を引くターコイズブルーで、ドルマンスリーブ、すこしざらざらした手触りに、ポコポコとした網目が出ているポップなキャラクターの刺繍。普段ベーシックな色を好む私にとって、このような服が目に留まったのは初めてで、そのこと自体が新鮮だった。理由もわからずこのスウェットに惹きつけられて、長いことその前で直立して悩んでから購入した。レジで店員さんが「これは90年代のアメリカのものなんですけど、地は無地のスウェットだったはずなので、誰かが手で刺繍を施したんだと思います。こういうのなんだかいいですよね。ほっこりして。」と話してくれた。
自分で服を買うようになった中学生から中~高1時代、H&Mが好きで、セールによく訪れた。大量の服の中からお気に入りを探すため、次から次へとハンガーをめくっては目が回った。きっとその時これらの服はどのように生まれたのか、誰の手に触れたのか想像したことは一度もなかった。たくさんの中からどれだけお気に入りに出会えるか、そしてそれをいかにお得に手に入れるか、それが重要だったからである。特にそれらの服にかかわった人のことを考えなくとも、新しい服に囲まれて私は幸せを感じていた。と思う。
だが、そのスウェットの買い物はとても幸福感の強いものだった。かつそれは今の自分の服に対する考え方に大きく影響した。そして、刺繍を施してくれた誰かを想像しては温かな気持ちになって、満たされた気持ちになった。時と国という境界を超えた先の名前も顔もわからない誰かが、手を加えながら可愛がっていた服だと思うと、なんだか胸が高まって自分も大切に着たいと思えたのである。
このように、服を介して人のぬくもりを感じられるところが古着の良いところだと思う。しかし、それは古着だけの話ではない。例えば服を作る人がときめきを感じて生地に触れ、誰が着るのだろうと思いやりながら作る。そしてその服の丁寧な縫い目を見て、生地に触れ、作り手を想像して温かな気持ちになる。そんなやり取りが日常的にあったのならば、より私たちの生活は充実感に溢れたものになるのではないかと感じる。
私にとって服は癒しであり、いつも元気をくれる存在だ。そんな服と末永く良い関係を築いていくためにも、「どこから、誰の手を渡ってここまで来たのだろう。」このような問いを常に持ちつつ、感謝の気持ちをもって服と関わっていきたい。
服と私の関係性
Marina Miyake 2021 8.24 by Keio Fashion Creator
自分に自信がない人は服やメイクにこだわる人が多いと聞いたことがある。もちろん誰もがこだわりを持っている。しかし、私の場合、自信がないからこだわるという部分では当てはまるかもしれない。
常に自信がないわけではないが、突然自信を無くしてしまうことがある。
通りすがりのスタイルの良いあの人、誰かも知らないのに横を通るだけで自分がちっぽけに感じることがある。
活躍している同い年の友達のインスタグラムを発見したとき、自分は何を頑張っているんだろうと分からなくなるときがある。
だから服で体型を隠すし、だから服で個性を出そうとする。
メイクを濃くすれば強く見えるだろうか。髪の毛を派手にすればなめられないだろうか。
ずっとこんな考えのこだわりを持っていたが、このような間違ったこだわりは私の中ではもう古い。本当はナチュラルな服が好きだし、薄くて艶のあるメイクが好き。そっちの方が自分に似合ってる気がするし。
誰かに見せるファッションも大事だけど、自分のために着飾ることの方が何倍も楽しいし、そう考えながら選ぶ洋服がいちばんかわいいしかっこいい。
だから私は私の為に服を選ぶし、派手なだけが個性じゃないって気づいたからこそ大切に思える洋服たちに巡り会えた。この気づきこそが、私と洋服との関係を前向きにしてくれたのだ。
服を通じて日常から私が感じること
meguri takano 2021 8.24 by Keio Fashion Creator
人は何のために服を着るのか
他人と差をつけるため、自分をよく見せるため、気分を上げるため、ただ生活をするため、人によって服を着る理由は様々で正解がなければ不正解もない。
人にこう思われたいとか、TPOがあるからとか、自分はこうであるべきだ、みたいな固定概念とか世の中生きているとそういった縛りみたいなものが影のように私たちに纏わりついてくる。ファッションが大好きな人間でも他人が着ているものをどうこう言う権利はないし、それは自分に対しても同様で、それが個性であり、その人なりの自己主張であるからだ。
しかし、時に他人の助言が支えになったり、励みになったりすることもある。自分にはこれが特別好きとか、このことなら誰よりも語れる自信があるとかそういった強みやこだわりがなく、「それがあまりよくないことなのではないか、自分は何も持っていないのではないか」と思うことがある。これに対して「色々なことに興味があることはいい事で、逆にそれがあなたの強みになる。」
このような他人からの助言で自信がつき前向きになれることもある。
オシャレの所在
私は一般に言う、都会生まれ都会育ちである。幼い頃から周りにはオシャレな人がたくさんいて、都会はそういう場所なのかと幼いながら漠然と感じていた。都会はオシャレな人で溢れかえってみんな負けず劣らず自分を着飾っている。多少背伸びしてでも着飾ること、つまりオシャレをしてこだわりあるものを身に着けて、個性を表現して自分を飾ることは楽しくて、都会ではその光景が普通になっている。
一方で自然のあるところ、世間でいう田舎はどうだろうか。畑仕事をしている人、農場で動物の世話をしている人、彼らがヒールのある靴やアクセサリーをジャラジャラと身に着けているのを見たことがあるだろうか。少々大袈裟な表現ではあるが、都会も自然も隔てなく好きな私にとってはオシャレをする場所は限られず、都会でも田舎でもどんな場所でもオシャレな人が沢山いる空間がいいなと勝手ながらに思っている。畑の隙間からピンクやオレンジ、ブルーなどカラフルだったり自己の個性に満ち溢れた人たちが見えたらどんなにかわいいだろうか。そんな光景が見られたらきっと皆がわくわくする。
触れること
日々触れることで感じることがある。最近、私は陶芸をはじめた。陶芸は道具を使わず自分の手で直接触れて造形する。思いもよらぬもの(形)ができたりもする。洋服も同じだ。実際に触って見て着て良いと思えたものを手にする、身に着ける。見た目だけではわからない形や着心地などがある。人間本来の姿として、裸で靴も履かないありのままの姿から人は洋服を常に着るものへと変化させていった。現代では靴を履かないで外を歩く人は滅多にいないだろう。しかし、時々靴と靴下を脱ぎ棄ててアーシング(直接大地に触れるというシンプルな健康法)をしてみる。水や木々、草花に触れてみる。自然と自分の素肌を隔てるものがなく感じること、同様に自分の好きな洋服に触れて実際に素肌に纏うこと、当たり前だけれど当たり前ではないことを大切にしていきたいと強く思う。
きたい
Hinako Kutara 2021 8.24 by Keio Fashion Creator
ファッションはたまに思わぬ出会いやきっかけをくれる。
去年、ミキオサカベというデザイナーが監修するブランドgroundsのスニーカーを買った。ソールに可愛い球体がついているのが特徴的。
ある日大学で「靴に風船ついてるけど割れないの?」と話しかけられた。そんな風に話しかけられると普段ならびっくりしてサイレントモードになる私。でも少し変わったこの靴を履いていると「割れたらまた膨らますし大丈夫だよ」なんて言えるものである。そんな感じでなかなか馴染めなかった大学で友達を作ることができた。
最近はオレンジのスーパーワイドパンツを買った。スタイリストさんがインスタで着ているのを見て、一目惚れして即ポチッとした。
とても気に入ってよく履いているが、このパンツには1つ問題がある。それは、恥ずかしながらウエストにある。ウエスト部分がコルセットのようになっており、ものすごくきついのだ。オンラインでサイズを見たとき、自分はいけるとなぜ思ったのか。この問題はパンツではなく自分自身である。
ということで、これから私はダイエットを始めることにする。もし成功したら、「きっかけはこのオレンジのパンツです」と答えるのだろう。
正直、どちらも本当に書くまでもないような些細な出会いやきっかけだ。ここまで読んでくれる人がいるか不安になるほどに。
でも、次に買うアイテムが私の人生を変えるような何かをもたらすかもしれない。そんな期待を込めてブログを書いている。
アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』を読む
Yuto Tanishiki by Keio Fashion Creator
映画で何が成せるのか。どんな世界を、どのような手段で表現できるのか。映画の秘める可能性を強く感じた作品であった。
知覚しうる限りの全てに感服する。
純粋にそれだけの技術と完成度があるが、何より空気、気配が素晴らしい。
観るものを魅惑し陶酔させ、感覚に浸透してゆく。
タイトルを「『ノスタルジア』を”読む”」としたが、実際のところ、芸術の真の価値は読解不可能な”イメージ”にあると考えている。しかし、読解可能な意匠についてはできうる限り読解し、感覚のみが浸透可能なイメージの領域を清澄《せいちょう》させることも、芸術を堪能する上で重要な役割を担っている、とも考えている。
今回は、走り書きの稚拙な文章にはなるが、読解可能な彼の意匠を少しでも明らかにできれば嬉しい。
本作を視聴済みの読者は僕のシーン説明によって映像を思い出してほしいのだが、試聴していない読者は僕の説明が拙いが故に、映像をイメージし難いと思う。そういう方は、各セクションの後半部分を適当に流し読みするだけで構わない。そこでは僕が感じたことであったり、簡単なまとめが記載されている。
また、『ノスタルジア』においては、物語の展開をあらかじめ知ることが、映画の鑑賞体験を損なうことにはならないと感じるので、それなら読んでもいいという方がいれば是非目を通していただきたい。
なお、数日前に発刊された忍澤勉 著『終わりなきタルコフスキー』は、『ノスタルジア』の読解において非常に役立つ分析に満ちた素晴らしい著作でしたので、タルコフスキーに関心のある方は是非手に取っていただきたい。勿論、彼の作品全8作全てが網羅されている。
気がつくと
人間は自然の一部であった
というような浸水感のある作品はいい
人間のそういった
詩に満ちた佇まいに触れていると
懐かしさを覚え 憧れを抱く 郷愁に酔う
続きは以下サイト
https://note.com/tanishiki_00001/n/n4d37b16eadec
今年度のショーに際して、私たちが伝えたいこと
MARIKO MINAGAWA 2020 by Keio Fashion Creator
今年Keio Fashion Creatorが選択したショーテーマは「辿る」。伝えたいことの中核にあるのは、困難な状況の中でも自分自身の選択を信じて希望を失わない、その前向きな思いである。
私たちは無意識のうちに他者から影響を受けながら生きているが、しばしば同時に自分らしさを模索する。人は誰しも、過去の経験や影響を糧として自分の軸を形作り、未来へ進む力としている。私たちは常に過去に遡り、自分や他者の歩んできた選択を辿りながら生きていくのである。私たちが「辿ること」は「生きること」だと考える理由はそこにある。
新型コロナウイルスの感染拡大により、誰もが不安な日々を過ごし、自分の人生や進むべき方向に対し懐疑的になったり、無慈悲に進んでいく時間に対してやるせない思いを抱えたりしただろう。しかし、代わり映えのない日々の中にも深い感動に出会い、自分が生きていることを実感する瞬間がある。自分がいま、生きているという感覚。私たちが一生の終わりに自分の人生を辿るとき、思い浮かぶのはそんな感覚をおぼえた、ある一瞬との出会いなのかもしれないと思う。私たちは今回そんな出会いの数々を、「服」を通じて表現する。
「自分が本当に生きていた瞬間はいつだっただろう?」ショーを開催することで、私たちはこの問いを投げかけたい。私たちのショーは、激動の一年においてはほんの小さな出来事に過ぎない。しかし、目まぐるしく進んでいく日々の中で、観てくれた方々にとってこのショーが自分自身を辿るきっかけになり、自分の生き方や選択を肯定して、明日へと向かう力になったなら。そしてまた、誰かにとってはKeio Fashion Creatorのショーこそが「生きている瞬間」になったなら。そんな想いを胸に、私たちは活動を続けていきたいと思う。
パリで見たモード(1)街歩きの楽しみ+古着屋・ショップ巡り
MARIKO MINAGAWA 2020 4.21 by Keio Fashion Creator
夏休みを利用して3週間ほどパリに行ってきた。せっかくなのでいくつかに分けて、見たものや感じたことを書いていきたい。
まず1本目の今回は、街歩きの楽しみについてお話ししたい。ついでに古着屋やショップ巡りのレポをしたいと思う。
海外の街はそれだけで新鮮だが、パリは格別だろう。なんてったって街並みの綺麗さは桁違いだ。メトロに乗ればすぐ着くとわかっていても、私は暇さえあればGoogle
map片手に歩いていた。おかげでパリ滞在中は毎日8kmくらい歩いていて、残念なことに日焼けもだいぶ進んだ。
初めてのパリだったので下調べもたくさんしたが、評判通り良かったのはやはりマレ地区周辺。下の地図だと赤く囲われているところ一体がマレ地区だ。3区にあるマレはセーヌ川の右岸に位置し、おしゃれな場所としては有名だが、その中でも私のおすすめは北マレ。メトロ3・5・8・9・11号線のRépublique(リパブリック)駅からセーヌ川の方へ、つまり南に向かう歩き方だ。
わかりにくいが、黄色のハイライトを引いてあるのがRépublique駅。その周りにお店が集中しているのがお分かりいただけると思う。
ではお気に入りのお店たちを早速紹介!
こちらは駅から歩いて3分くらいのところにある本屋さん。と言っても勿論ただの本屋ではない。店主のこだわりがつまった古今東西の雑誌や本が並んでいる。モード、カルチャー、アート、建築、焼き物、旅から小説まで。言語はフランス語と英語が多め。
店構えは普通に入りやすい。昔ながらというよりは今っぽいつくり。中には所狭しと本や雑誌が並んでいる。奥はギャラリースペースになっていて、期間限定で色々なアーティストが展示をしているらしい。お店オリジナルのエコバッグや帽子なんかも売っている。
分厚めの本が多いので、持ち帰ることを考えるとあまり向かないが、ぜひ行くだけでもオススメしたい。私は立ち読みで1時間半くらい普通に過ぎてしまった。気に入った薄めの雑誌を買ったら、お会計の時に「この雑誌の新刊は来週入荷するからまたおいで!インスタもフォローしておきなね」と店主のおじさんが気さくに話してくれた。
② The broken arm
①のお店から徒歩2分くらいのこちらは、友達が絶賛していたので最初の週末に行こうとしたら日曜はお休みで、二度目でクリア。フランスは日曜休業のお店がとても多いので注意しましょう!
このお店は“De Jeunes Gens Modernes”(英訳:The
young modern
people)というウェブマガジン(下リンク)を運営しているメンバーが2013年にオープンさせた。Webで紹介するのは彼らの理想のライフスタイルであり、その理想を実現させようとこのセレクトショップを開いたという。最近は紙媒体やショップへの風向きは強く、ウェブマガジン・ウェブストアに移行する流れが多いが、The
Broken Arm はその逆を行っているとも言える。
https://desjeunesgensmodernes.fr/
https://www.instagram.com/desjeunesgensmodernes/
私が行ったときは、レディース、メンズともに前面に出ていたのはPRADA。他にはRaf
Simons、Jacquemus、Lemaire、Martine Rose、Kiko
Kostadinov、そしてギャルソンとマルジェラなどがセレクトされていた。JacquemusやLemaireはこの近くにアトリエを構えており、ローカルなハイブランドを大事にしている印象。見ている中で素敵だったのは、こちらも地元のブランドでレザーグッズを中心に発表しているIssac
Reina(https://www.instagram.com/isaacreinaparis/)のカバン。フォルムは一見昔ながらなのに、カラーやちょっとしたウィットの効いたデザインが多くてとても素敵だった。
③ Chez snow bunny Vintage store
https://www.instagram.com/chezsnowbunny/
駅に戻る道すがら見つけたこちらのお店は、ウィメンズのヴィンテージショップ。店構えはガーリーな感じなのだが、入るとなかなか面白かった。
割と綺麗な古着が多く、ハイブランドではDior、Chanel、Max
Mara、Nina
Ricci、Burberryなどが€100くらいからセレクトされている。それに混じって80s~90sを中心にフランスの古着がセレクトされていて、€10~という安さで買える。女の子が思う「かわいい」を凝縮させたようなお店。ポップでキッチュな古着を求める貴女、ぜひここへ!これ誰が着るの?と言いたくなるような色使いのトップスや、ガッチガチの肩パッドが可愛い80sっぽさ抜群のセットアップ、そして純粋にレトロで可愛いフレンチシックな古着まで。ハンガーを繰る手が止まらないので、ぜひ一度行ってみてほしい。こちらも日曜は定休。店内は広くはないが、地元の若者で賑わっていた。
④ OULTMA
https://www.instagram.com/oultmaparis/
街歩きもお洋服見るのも、楽しいけど足は疲れるしそろそろお腹が空く頃では?ちょっとコーヒー飲みたいな、と思って立ち寄ったこちらのカフェ。思いがけない出会いがあったので記念に。
マレ地区の真ん中にあるこちらのカフェはモロッカンスタイルのお店。パリのカフェはオープンテラスが中心で、同じような店構えのカフェが多い中でこちらはいわゆる今っぽいカフェだ。日当たり抜群の店内は漆喰が塗られたみたいな白の壁。メニューはいろんな種類のコーヒーと、手作りのサンドイッチやパウンドケーキ、クッキーなど。私はアメリカンとチョコケーキをオーダーした。
このお店に立っていたお兄さん、まず日本人?と言われてそうですと言うと、めちゃめちゃ嬉しそうな顔をして丁寧にメニューの説明をしてくれた。学生?何をしにパリに?東京では何の勉強をしてるの?と色々質問されて話していると、なんと「来週からファッションの仕事で東京に行く」とのこと。詳しく話を聞くと、自分でブランドもやっていて、インスタを見ると1LDKなどでモデルもやっていることも判明。話に花が咲いた。
このお兄さんにオススメされて、並びにある古着屋へ。このカフェを出て左方向に10歩。なぜか「日本人の方、割引します」と書いてあるお店で、中にあるものも状態がとても良くて素敵だった。だが急いでいてお店の名前をメモするのを忘れ、写真もないため今回は紹介を断念。どなたか行って私にお店の名前を教えてください。
ということで、ぜひ皆さんもマレで休憩したくなったらこちらへ。日本人にめちゃくちゃ優しいお兄さんが迎えてくれるかも。
その他にもマレにはショップや古着屋がたくさん!
チェーンだとMad Vintageなどもマレに店を構えている。Mad
Vintageは日本で言うフラミンゴやNew York
Joeみたいなイメージ。アイテムによって価格が均一なことが多く、ジャケットで€25、Tシャツだと€10くらいから買えてリーズナブル。店構えも入りやすいので、ぶらっと立ち寄るのにおすすめ。
余談だが、私はパリについてすぐに行ったときに、ここで気に入ったジャケットを見つけた。でもこんなに衝動買いをしていたら破産する!と思って一度考えようと思い買わずに帰り、後日購入を決意。ところがもう一度お店に行こうとしたら、なぜか店にたどり着けなかった。もはや幻だったのか、と思うレベルに何度トライしてもダメで、まさかの断念…。皆さん、鉄則ですが気に入ったものはその場で買う勇気、大事です。Mad
Vintageはチェーンなので、多分幻ではないはず。マレでもどこでも、パリに行ったら行ってみてください。
https://www.instagram.com/madvintageparis/
ライフスタイルショップだとMerci(https://www.instagram.com/merciparis/)やEMPRIENTES(https://www.instagram.com/empreintesparis/)がおすすめ。
Merciは洋服から家具、食器まで扱う大型の人気セレクトショップ。価格帯はちょっと高めだが、お土産などにはうってつけだろう。私が行った時は、アジアからの客でとても賑わっていた。
EMPRIENTESは食器を中心にセレクト。最近リニューアルしたばかりとのことで、地元の人も多く買いに来ていた。フランスのデザイナーのものはもちろんだが、中には日本のものも。私たちが普段何気なく見ているものがクールだと捉えられるのは少し不思議だけれど、そういった「東洋」や「日本」へのステレオタイプみたいなものはフランスにいて多々感じたし、そのギャップがとても面白かった。
番外編⑤ヴァンヴ蚤の市
ここで番外編。マレからは外れるが、紹介しておきたいのが蚤の市!パリには主に3つの蚤の市があり、ヴァンヴ、クリニャンクール、モンパルナスが有名。私はこの中でヴァンヴとクリニャンクールに行ったのだが、正直、断然ヴァンヴをおすすめする。
ヴァンヴの蚤の市はパリの南西にあり、メトロ13号線のPorte
de
Vanves駅から歩いてすぐ。この近辺は治安も良く、でも観光地と言う雰囲気でもないので落ち着いて買い物を楽しめる。標識に従って歩いて行くと、すぐに蚤の市が登場。アンティークの食器、切手、家具、洋服、小物、アクセサリー、手芸用品などを扱うお店が本当にたくさんある。ヴァンヴはパリの蚤の市の中では一番小規模とされるのだが、とはいえ奥まで歩くと一本道にずらっと店が並ぶため、じっくり見ると2〜3時間あっても見切れない。
なぜヴァンヴを推すかというと、そのセレクトの良さとローカルな感じが気に入ったからだ。クリニャンクールはとても広くて面白かったが、割と観光名所なので値引き交渉をしてもそんなに下げてくれない。そして周辺の治安はあまり良くなく、周りにはパチモンの服や靴を扱う店がずらっと並ぶ。大きすぎて、あの店にもう一回行きたい!と思ってもたどり着くのは結構大変とも言える。その点ヴァンヴは一本道なのでわかりやすく、値下げもガンガンしてくれる。ちょっと高いなぁ、と言うか言わないかくらいのタイミングで下げてくるので楽しい。
アクセサリーだと€10前後から、食器などは状態にもよるが€5前後の店が多い。€2均一のボックスを漁って掘り出し物を見つけるのも醍醐味だろう。ヴィンテージを扱う服屋も何軒かあり、60s〜70sのフランスの古着を扱うお店やジャケットだけを大量に置いてある店などテイストもそれぞれで面白い。何より置いてあるものはレトロで、いわゆるパリっぽさ満載なのだ。単価が安いので、ついあれもこれも…となりがち。私はヴィンテージのイヤリング(€5)を二つ、銀のメダイ(€3)、食器(€5)を二つくらいちょこちょこ買った。現金しか使えないお店が多いので要注意!結構歩くのと集中して見るのに体力を使うので、腹ごしらえはしっかりしてから行きましょう。
いかがでしたか?今回はこの辺で終わり。美術館巡りなどまだまだ描きたいネタはたくさんあるのでまた書いていきたい。皆さんのパリ欲が膨らんでいたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました!
疑問から生まれる感動
NONIKA WAKISHIMA 2020.4.7.by Keio Fashion Creator
先日、私はふとした瞬間に素朴な疑問が頭の中に浮かんできた。いや、「素朴」という言葉で簡単に片付けてはいけない大きな疑問であるかもしれない。
その疑問こそ、「私は生まれて来てから今までに何着の服を纏って来たのだろう?」というものである。人によってその全体数には大きな差が生まれるだろう。服への関心度、経済状況、拠点とする場所など要因は様々である。
私の境遇で考えてみるとする。私は、服に関心があり、現在はアルバイトをし、また都内住みであるため稼いだお金をファッションに注ぎ込み安い環境であると言える。また、ファッションに携わる団体、バイト先に所属しているため一般的にいう「お洒落ピープル」を目にする機会が日常的に多い。
そんな私は、1ヶ月に多くて2〜3着の服を買う。現在家にある服(トップス、スウェット、アウター、ボトム)は最低でも100以上。厳密に計算するのは面倒臭いので、計算しないが最低でも、今までに1000以上のファッションアイテムを身につけてきたことは確かだ。その1つ1つのアイテムは「誰か」によってデザインされたものである。誰かの豊かな想像力、美的センスによって何もない状態(頭の中にしかなかった空想)から実際に誰かが魂を込めて「物体」にした作品。その「誰か」は、どのようなきっかけでそのアイテムのデザインを思いついたのだろう。誰もいない空気の乾ききった砂漠、永遠に続くかと思ってしまう果てしない海、起床して「うるさいなあ」と思いながらボタンを押す目覚まし時計、電車に乗って窓から見えるたわいも無い風景、いや、視覚的な体験から発想されたものとは限らない。家に帰って浴びるシャワーの音、急かすような車のクラクション、貧乏揺りの微かな一定のリズムを刻む音、聴覚的な体験かもしれない。
このように、考えられる例を挙げればきりが無いのだが、この世の中に存在するもの全てがデザインをしようと思えるような、きっかけとなる体験を「誰か」に投げかけていると私は感じている。私が生まれて来てから今まで纏ってきた1000以上の服たち、もっと広い視野で考えるとこの世に存在する服たちには1つ1つ誕生した物語があると思うと、私の心は大きく揺さぶられ、とても感動する。この気付きを他人に理解してもらえれば嬉しいのだが、同感を強要することはない。私は、ただこの小さな1つの疑問(私にとっては大きな疑問)を通して、自分の服に対する考えを深めることができたため、それだけで幸せである。
あの人みたいになりたいからって、あの人みたいになったらフェイク
KOHEI EGUCHI 2020.4.10 by Keio Fashion Creator
これは僕が好きなリリックの一節であり、同時に僕のモットーとしている言葉である。短い文だがこれって結構深いと思う。中学生の時に初めてこの一節を聴いた時、ただ単純にカッコいい〜と思っていただけであったが、時間が経ち今日この言葉を考えてみるともうちょっと深く考えることができるようになった。
インスタグラム上で好きであったり、参考にしている人がいるという方は少なくないはずである。服がタイプだから、顔が可愛いから、キャプションが好きだから、理由は様々だと思う。そういう方のインスタをみると僕はいつも、こういう風になりたいなぁと感じる。だがもし、完全になることはないとしてもその人と同じことをすることは果たしてどうなのだろうかとも感じる。自分が本当にしたいことはこれで合っているか、自分を見失わないかと一度問いかけることが重要なのではないだろうか。もちろんどう思うかは人それぞれだ。これは本当に思う。その人が思うことを尊敬することは大事だと思う。だが自分を持っていることもそれと同じくらい大事だと思う。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
グアテマラの文化から考えるフォークロア
NODOKA JIN 2020. 4.16 by Keio Fashion Creator
私は高校生の頃から中南米諸国に関心があり、それらの地域について調べる機会が多かったため、今回はこの地域に絡めた話をしようと思う。
まず皆さんはグアテマラという国を知っているだろうか?
グアテマラは中南米に位置する、スペイン語を公用語とする国である。日本人にはあまりなじみのない国のように感じられるかもしれない。
現在このグアテマラという国では、織物の織り手である先住民女性たちの間で、その織物の集団的知的所有権ならびに肖像権保護の実現をしようとする動きが高まっている。この文化運動を牽引する集まりは「Movimiento National de Tejedoras」(スペイン語で女性の織り手の全国運動という意味)と呼ばれていて、この運動の背景には企業によるデザインの盗用や、先住民族の慣習を無視した商品生産や販売、そして先住民族の特別な衣装の無断使用等の問題点が挙げられ、グアテマラ国内で議論を呼んでいる。
この運動が促進していこうとするのは①企業が女性たちのもとへ足を運び、紋様やデザインを使用する許可を求めることの義務化、②企業が紋様を再生産することに対しての対価、収益の一部を支払うことの義務化であり、解決策としてConsejo de tejedoras(スペイン語で織り手女性の相談役)という、織物や織物のデザインの借用を求める企業が、相談役と契約し、収益はその村の女性の生活改善や女性に関わる諸問題解決に使用するというシステムが設置された。近年有名ブランドでも民族衣装からインスピレーションを受けたようなルックが見られるが、それを単にファッションとして認識するのではなく、先住民の生活財の一部であることを理解する必要があるように感じる。皆さんもファッションという観点から世界を見渡し、そこに潜む問題に目を向けてみてはどうだろうか?
私の古着屋開拓
MOE NAKATA 2020.4.8. by Keio Fashion Creator
東京に住み始めて4ヶ月。わたしは友達の影響もあり、古着屋をよく訪れる。
友達とは主に原宿の古着屋を見るが、一人では主に高円寺の古着屋を見ることが多い。
わたしは高円寺の古着を見る時間が1番好きだ。高円寺には何度行っても回りきれない数の古着屋がある。ふらっと歩いていくうちに気になった古着屋に入ることができる。
わたしが高円寺で必ず行くお店は4店ほどある。その4店は全てが少しずつ離れたところに位置している。わたしはいつも違うルートでその4店を回り、その間に出会った古着屋に足を踏み入れる。そして自分のお気に入りの店を見つけるのだ。
もちろん入った古着屋がメンズのみを取り扱っていたり、全く好みのものが置いていなかったりすることも沢山ある。しかしわたしはそれで良いと思う。”看板とその隣に飾ってあるマネキンのスタイリングに惹かれてその古着屋に入る”
この行動自体にわたしはとてもわくわくし、これから出会う古着たちを想像して少し嬉しい気持ちになるのである。
「袖振り合うも多生の縁」という言葉がある。これはわたしの好きな言葉の1つだ。この言葉は”知らない人と道で袖が触れ合うようなちょっとしたことでも深い縁がある”という意味をもつ。わたしは服との出会いもこれと同じようなものだと思っている。たとえ自分が好きでなかったり、買わない服であったりしても自分がふらっと入った古着屋で出会い、触れてみた服には自分とのつながりがあるのだと感じる。
加えて古着は以前それを着ていた人、そしてそれを仕入れてきた店のオーナーとのつながりをも感じることができる。
だから私は高円寺での古着屋開拓が好きだ。これからも沢山の服と人に出会いたい。
中途半端であること
MARUNA KAWASHIMA 2020.4.9.by Keio Fashion Creator
私は、他の人よりも多趣味な傾向がある。両親が私のやりたいことはなんでも協力的にやらせてくれる人だったというのもあるが、聴く音楽のジャンルも読む本のジャンルも様々だし、少しだけ写真をかじったりもしたし、政治や時事問題について考え議論する事も好きだし、ある時は絵を書こうと母に頼んで画板と絵のセットを買ってもらい、絵を少し描いたこともある。
このように書くと、あまりマイナスな面は見えてこない。しかし少し言い方を変えると、すべて中途半端だと言い換えることができる。
実際、服の関心もこの類の一部だったため、当団体に入ると一気にそれは自分の中で明確に感じ取れるようになった。多くの人が自分のスタイルを持っていて、また自分をベストに見せることができる服を知っていて、自分の好きなブランドについて語れる、そんな場面に何度もあった。それは、今まで自分が好きな形や服の素材と直感や気分に頼ってブランドや値段も考えずに服を選んできた私に、知識の不足と劣等感を感じさせたのだ。その他にも団体には、写真を撮るのが得意な人や絵が上手く描ける人など、私が今までがかじってきたジャンルにどっぷりと浸かっている人もいる。
何度もこのことで考える夜があった。それほど私の中でこのことは大問題であった。急いで自分の今までやってきた中で私が極められそうなジャンルを探した。しかし、音楽も自分でやらないし、絵も小学校低学年の話、写真もそう。昔は好きというだけでよかった。子供は無限の可能性を持っているということも二十歳になった今、身にしみて実感する。
その話を私の一番の理解者である父に相談した。父は私が服や身なりにとらわれ、学問や語学の勉学をおろそかにすることを注意してくる。そんな人だが、その時はなぜか父に相談してみたくなったのだ。
父は、いつも通り私に学問の大切さを語った後、私が2歳の時から自分でパンツを選んでいた話や絵で賞を取った時の話をした。そして、「私はお前が表現に対して昔から向いていると感じていた。それに色んなことをやることでそれは次にやることに関わってくることもある。だから自信をもっていろんな表現に今からでも挑戦してみなさい。二十歳だからと一つに絞ろうとして好みを絞る必要はない」と言った。
広がるかわいい
MARUNA KAWASHIMA 2020 4.11 by Keio Fashion Creator
日本では最近若者の間でよく使われるようになった“かわいい”の範囲は広がりつつある。おじいちゃんやおばあちゃんに対する“かわいい”、少しブサイクな犬にも“かわいい”、その流れに乗ってか、食べ物にもどんどん“かわいい”は取り入れられている。そんな中、服というジャンルにおいての“かわいい”はどうか。
私はファッションに関する情報を集める媒体として、よくInstagramを利用しているが、その中でもHarajukujapanというアカウントは日本の“かわいい“の文化を積極的に発信している。そこにはよく髪の毛をピンクに染め、フリルのついた淡いパステルカラーのワンピースに白のハイソックス、厚底のサンダルを履いて街中でポージングする女の子がよく載っている。いわゆる一般的な日本の”かわいい“のイメージである。私は普段彼女たちのような格好をしないが、彼女たちの投稿を見るたび私の興味のあるスタイルの人にはしない、コメント欄をのぞいてみるという行為をする。そこには、日本人のみならず、海外の人たちのコメントが多く見られる。”socute”,
”Kawaii”など。このコメント欄を見るたび“かわいい”について考えさせられる。
自分のスタイルや、一般受けする格好には“かっこいい”や“渋い”などやんわり別の感想や見方がされる。しかし、上にあげた格好は世界共通で“かわいい”として見られる。今何もかもを“かわいい”で括ってしまう日本の中で、皆が“かわいい”と口を揃えて言えるこの文化を他のジャンルように分別のない“かわいい”で括ってしまうのは勿体ないのではないか。
これからもっと“かわいい”の範囲は広がっていくと思う。しかしファッションに関しては、何もかもを“かわいい”で括られないよう、日本の“かわいい”のカルチャーを守る方法を投げ出さず考えていきたい。
自由と平等
MOE NAKATA 2020 4.12 by Keio Fashion Creator
「○○ちゃんの学校の制服かわいいよね〜」
女子高校生のこんな会話をよく耳にする。私は中学校も高校も制服で登校することがなかったので他の学校の制服のデザインを羨ましいと感じたことは一度もない。しかしバイトを始めて私は制服というものがもたらす平等性を感じたのだ。
私たちは「自分」を個性のままに発揮したいという気持ちを少なからず持っている。しかし、個性を限りなく発揮する自由な社会になってしまっては、人々の平等性が欠けてしまう。「自由と平等」というと聞こえはいいがこの二つは常にせめぎあっているのではないだろうか。
今回私は、洋服がもたらす平等について考えた。
洋服と平等と聞くと私は制服や就活生の格好を思い出す。似たようなリクルートスーツを纏い、同じような髪型をした就活生たちは近年話題となり、企業が就活生の髪型が同じだということに言及するようになった。
平等を強制する制服の存在に嫌気が差す人もたくさんいるだろう。しかし、平等性には良い点もあることを忘れてはならない。日本では戦後の社会に制服が歓迎された。その代表例が割烹着である。女性たちは、その割烹着の下にどんなに豪華な着物を着ていても、また、安くみすぼらしい着物を着ていても割烹着を羽織ってしまえば平等に接することができた。私もバイトで制服のありがたさに気付かされた。本来私のバイト先では金髪は禁止だが、制服として帽子をかぶっていたため、金髪でも働くことを許された。
洋服は自由と平等のせめぎ合いを私たちに直接的に感じさせてくれるものだと思う。私はこのせめぎ合いを感じながら洋服を楽しみたい。
他人からの影響
AKIHISA IWASAKI 2020. 4.15 by Keio Fashion Creator
今日、SNSなどインターネットの普及によって情報の入手が用意になったことで私たちは他人からの影響を受けやすくなってると思う。それはファッションについても言えることだ。この状況を利用してSNSやYoutubeなどの媒体でおすすめコーデとして他人のファッションに影響を与える方々も多くいる。その中で、他人に影響を受けすぎて自分の中身が全て知らない誰かの物で構成されてしまっている人がいるのではないかと考えた。ファッションは自分を表現するものである。それを他人のもので表現できるわけがない。それではただマネキンに服を着させているだけになってしまい、ファッションを心の底から楽しめているとは言えないと思う。他人からおすすめされた服を大量に買い、それを身につけたとしてもその時は満足してもすぐ飽きてしまう、そんな経験をした人もいるのではないだろうか。それはその服たちが自分自身の感覚で選んだ本当に着たい服ではないからだと思う。
ではどのようにすればこの状態を回避できるのだろうか。私はまず自分で服を選ぶことから始めるべきだと考える。その結果、コーディネートがちぐはぐになったり友達からダサいと言われてしまったりしても最初はそれでよい。この場合友達(特に感度の高い)の意見は大変参考になると思う。そして、色んなコーディネートや洋服を着ていくうちに、どんな服が自分を引き立たせてくれるか、自分という人間を表すのに最適かを見つけ出していくことが重要である。その上で、自分のファッションで行き詰まったりした時は、SNSなどで自分のスタイルに似た人を参考にすればその人に飲み込まれることも無くなると思う。こんな偉そうに書いてしまっているが、私自身まだ自分をどうやって服で表現できるかなんて微塵も分かっていないし、たくさんのオシャレな人を見てこんなふうになりたいな、なんて安易に考えてしまう。でもそれでは自分のファッションを進化させることはできない。これから、どうやったらファッションをより楽しむことができるかを常に考えてアンテナを張り思考の順番を間違えないようにしていきたいと思う。
今回このブログを書くことによって自分の考えを整理して1からファッションについて考えるきっかけになった。このような機会を与えてくれたKeio
fashion creatorには感謝している。
拙い文章でしたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
アウトサイダーアートの世界
MOE NAKATA 2020. 4.17 by Keio Fashion Creator
写真)岩本義夫さんの「金髪のおねえちゃん」
(写真)ヌイ・プロジェクトで作成されたシャツ
私は先日、渋谷で開催されたアウトサイダーアート展に行った。アウトサイダーアートとは日本では知的障害者や精神障害者がアートセラピーとして書いた作品として知られている。
私は小学校以来、障がい者とあまり関わってこなかったため、どきどきしながらギャラリーのドアを開けた。
そこには創造性に富んだたくさんの個性的な絵画があった。中でも私は岩本義夫さんの「金髪のおねえちゃん」という作品に心奪われた。彼の作品は鼻や指輪などに凹凸があり、近くから見ても遠くから見ても楽しませられる作品である。彼は61歳になって初めて絵を描き、一気に人気作家になったそうだ。私は彼にもっとたくさん絵を描いて欲しいと思い、彼の絵の購入を決意した。
ファッションの世界にもアウトサイダーアートというものは存在する。しょうぶ学園という学園をご存知であろうか。文化芸術活動と障害者福祉事業を組み合わせた新しいアートセンターを目指している施設である。具体的には布の工房・木の工房・土の工房・和紙の工房などたくさんの工房があり、作者が自分の好きなように作品を作ることのできる環境が完備されている。その中でもヌイ・プロジェクトは布の工房から生まれた独創性に優れたプロジェクトである。
私はドキュメンタリー番組でこの学園を知り、衝撃を受けた。この学園から生まれた作品は現代アートの世界から高く評価され、海外などでも展覧会が開かれている。
アウトサイダーアートは作者が自分の好きなように自由に作り出した作品である。彼らは幸福を感じながら、好きなものを作り出している。定職に就くことが難しい障がい者が、好きなことをすると同時にお金を稼ぐことができるアウトサイダーアートの世界はとても興味深いと感じる。私はこれから、積極的にアウトサイダーアートに関わっていきたいと。
純粋なファッション
NONIKA WAKISHIMA 2020. 4.18 by Keio Fashion Creator
表参道にはハイブランドの路面店が立ち並ぶ。思わず立ち止まって見上げてしまうほど 大きく美しく磨き上げられたショーウィンドウ。中にはスタイル抜群のマネキンが何十万円、いや何百万円もする服を纏っているのだろう。その光景を私は「流石だなあ」と思いうっとりと見つめ、目に焼き付けるのである。
しかし、その時の私は先入観と偏見で満たされているのだ。
というのも、もし、そのマネキンが纏っている服が全て古着でコーディネートされていたとして私はそれに気づくのだろうか。派手な色のレトロな古着。赤、緑、青、黄を絶妙な色合わせで身に纏い、煌びやかなハイヒールを履き、薄手のストールを頭に巻きつけ、キラキラと輝くアクセサリーを付け合わせ、ポージングを決めるマネキン。ハイブランドのランウェイに登場してきてもおかしくない様相。洗練された店内と見事にマッチしていれば、古着と疑う余地もない。私は、「表参道」というブランド通りを歩いている時点で無意識的に「ハイブランド=美しく良い服」という固定観念が頭に纏わり付き、服を服単体のデザインだけで判断することが難しくなっているのではないかと思うのだ。もし、店の名前を知らずにマネキンを見て「これってお洒落なの?」と疑問を感じたとしても、店の名前を知った瞬間に「GUCCIなのか!だからこんなに派手なんだな」というプラスの解釈に一変する。つまりハイブランドという先入観がどうしても付き纏ってしまうのである。
そんな私は表参道や銀座を歩くときは「疑いの目」を持つように意識的にショーウィンドウを見るようにしている。ハイブランドの先入観に圧倒されたくないからだ。また、古着屋では初めに服の形、色、生地を見て「この服素敵!」と感じたら、その後にタグを見るようにしている。大体は無名のブランドだが、素敵な服ばかりだ。特に、自分が選んだ服が偶然ハイブランドのヴィンテージだったりするととても嬉しい。「服との出会い」で簡単に高揚することのできる私は幸せだと思う。
ファッションには「偏見」が付き物だ。いつか、その偏見に惑わされず純粋に服のデザインだけでファッションを楽しめるようになりたい。
おしゃれの定義
MARUNA KAWASHIMA 2020. 4.20 by Keio Fashion Creator
最近よく思うことがある。シンプルなシャツとパンツでもとてもおしゃれに見える人と、ハイブランドや少しデザインが効いている服を着ていてもあまりおしゃれに見えない人の違いである。どちらかというとハイブランドを着ている点を除いて私は後者であるため、外を歩く際に前者のような人を見かけるといつも疑問が浮かぶ。彼らはシンプルなのに私とどこが違うのか、スタイル?髪色?髪型?肌の色?小物の使い方?
この質問をよく行く馴染みのある古着屋さんの店長さんに話してみた。その古着屋さんは、私の大好きな黒を始め 様々な原色カラーの服を場所に分けてラックにかけている見やすい店内と、珍しいデザインの服が置いてあったり、求めているものをいうと次の買い付けで探してきてくれたり、相談や話を積極的に聞いてくれたりする店長さんがいるとこが私的にお気に入りの店である。
彼は、おしゃれの定義は人それぞれで、と言いマネキンを指差して、あれをおしゃれと思う?俺はおしゃれだと思うけど、思わない人もいる、そういうこと!みんな受けの服着てもみんなはおしゃれと思うかもしれないけど個性がなくなっちゃうよ、もったいない、もっと服を楽しまないと、と言われた。
それを聞いてから、しばらくはその疑問は消えた。もちろんまた街中でシンプルに決め込んでいる人を見かけるとたまに頭によぎるときもあるが、その時はおしゃれの定義の話を思い出すようにしている。ファックリの友達に共感者が多かったためブログに書いてみた。最後までありがとうございました。
疑問から生まれる感動
NONIKA WAKISHIMA 2020.4.7.by Keio Fashion Creator
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疑問から生まれる感動
NONIKA WAKISHIMA 2020.4.7.by Keio Fashion Creator
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NONIKA WAKISHIMA 2020.4.7.by Keio Fashion Creator
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疑問から生まれる感動
NONIKA WAKISHIMA 2020.4.7.by Keio Fashion Creator
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代表インタビュー
2019 KIE UEDA by Keio Fashion Creator
Q1.なぜ今年のテーマをImpressionにされたのでしょうか。
A1. 私が決めたというより、皆で話し合って決めました。意見を出し合ったときに、多くの人がコンプレックスを抱えてながら生きていたり、学生で活動しているのに「学生」としてやってるからこそなめられてしまう、というちぐはぐ加減みたいなものを感じてるなと思って。人は偏見をもって人に接してるから、第一印象で勘違いされてしまうのは、すごく悲しいことだなと思いました。それは服にも言えることで、私自身も結構奇抜な恰好したり、顔も仏頂面だし、そういうので人を判断するのって本当によくなくて。見た目で判断するっていうのを一番しちゃいけないのが服を好きな人だと思うんですよね。相手を服装とかで判断しちゃう時って、結構あると思うから。そういうことを同じ若者とかにもう一度考え直す機会があったらということで、Impressionというテーマにしました。
Q2.代表として様々な苦労があったと思いますが、どのような思いでKeio
Fashion Creatorに尽力してこられましたか?
A2. 基本的な性格として、犠牲心と忠誠心は強いんですよ、私。自分の好きな人とか好きなものに対しての気持ちは人一倍強いです。この団体には2年生から入って。それを言うとよく驚かれるんですけど、大学1年生のとき何もしてなくて、将来どうしようって思ったときに、私が時間とお金を犠牲にしてでもやってきたことって服しかなくて。それこそ中学生の時は毎週原宿行ってスナップ撮られたいなって思って歩き回ってたりとか、高校生の時からバイトしててバイト代全部服につぎ込んだりとか、まあ今もそうですけど(笑)。なんかそういう気持ちをやっと、「あ、自分の服に対しての思いに自信を持っていいんだ」って思わせてくれたのがKeio
Fashion Creatorでした。
服を仕事にしたいって思った時、決めたことは本気でやりたいなって思ってたから、一生懸命やっていくうちに、これだけみんなで一つのことに向かっていけて、みんな服が好きで、それに向かえる環境があるっていうことにすごく感謝してて。去年代表になったときは、一番私がこの中でファックリのことが好きだから!という気持ちがありました。そして、代表というのは絶対自分のことを犠牲にしてでも団体のために動く人、というのが私の理想だったので、それを叶える人は自分しかいないなっていう思いでやってきましたね。
Q3.そもそも、どういう思いを抱えて代表になったのですか?
A3. 正直に言うと、これはインタビューだから取り繕ったりしないといけないかもいけないけど…周りに代表をやれるような子がいなかったから私がなりました。それが一番の理由です。そして、「代表」っていう言葉を背負ってちゃんと仕事をしよう、そうじゃないと私はできない人なので、そういう思いをこめてわざわざ自分で難しい道を選びました。
Q4.代表になる前と今現在の心境の変化は?
A4. 自分は最初、やろうって思ったときは絶対一番仕事をする、そして一番仕事ができる人でありたかったから、ものすごくきつかったです。最初は。誰にも仕事を頼まなかったし、頼めるような仕事でも、私のほうがうまくできるからっていう過信を抱いてやってしまってた部分がありましたね。自分で自分の首を絞めている状態です、まさに。これが夏くらいにパンクしそうになって、いろんなほころびが出始めたんですよ。ミスとか、うまくできない部分とか。これが正しい方法じゃないんだっていうのにやっと気づいて、そこからちゃんと周りを頼るようになったていうか。団体全体をちゃんと見るようになって、間違えててもいいじゃないっていう…やらせてみて、できなかったら私が指示を出せばいいし。団体組織の中で代表として働くっていう意味をちゃんと理解できるようになったっていうのが一番変わった部分かなと思いますね。あとは基本な性格とかは変わらずに、私の個性を変えずに、代表をちゃんとやれたっていうのは、自分を褒めてあげたいですね。
最初のころは、自分のやってることが100%正しいかっていうのはわかんないんです。一番先にいなきゃいけないから。それが正解かわからないけど、やらなきゃいけない。それがみんな納得してやってくれてるかもわからなかったけど、みんなが納得してくれてるっていうことは後から知ればいいことだから、時間を割いてファックリのことをやっているのは私、っていう自信を持てるようになってきました。だんだん、最近になってから。最初のほうは本当に自信がなくて、自信なさげにやってたけど、でもこんだけ時間もお金もかけて、一番やってるのは私だから、決める権利はもちろん私にあって。そういう認識をちゃんと持てるようになりました。
Q5.代表はすごい大変だったと思いますが、やってよかったなと思いますか?
A5. まあ…よかったんじゃないですかね、わかんないけど(笑)自分を振り返る時期に来ていますが、全然良い代表じゃなかったていうのは言い切れますね。自己評価ですけど。
(ーインタビュアー:他者評価はそんなことないと思いますけど…)
他者評価はどうでもいいので、気にしないです(笑)、自己評価は本当に最悪でしたね。私、自分が後輩から見て良い代表だったとは全然言えないですね。全体をちゃんと見れてないのと、気づくのが遅かったよね。さっき言ったみたいに。代表としての動き方について気付くのが遅かった。私、貪欲で、一番がいい、地位と名誉が大好きみたいな人間だから、常に誰かよりも仕事をしてたいっていうのがあるじゃないですか。その欲望を満たしたいがために自分のキャパを考えずに行動してしまう、っていうことに気付くのが遅かった。だからその分ちゃんとした代表になることは達成できなかったな、って思いましたね。気づくのが早かったら、もっとちゃんとやれてたと思いますよ。
デザイナーインタビュー5日目
2019 by Keio Fashion Creator
>―今回製作したルックについて教えてください。
そもそものテーマとして、「自分にとっての美しいもの」から派生して考えていて。「美しいもの」と今回のテーマ(Impression)を重ねて考えてみると、まず偏見と本質に分かれていると感じました。偏見とは何かというと、表層の純度の高さだと思っていて。例えば「かわいい」と思うものが目の前にある時には、「かわいい」の基準が自分の中にあって、その自分の基準を平均値と比べることで人は何かを評価するんだと思います。あらかじめ自分の中にある基準値は、ある種の偏見とも言えるんですよね。
これがなぜ美しいものから派生したかというと、人間そのものが美しいかどうかも、誰かしらの基準値を踏まえたフィルターを通してしか見られないと感じるからです。例えばホームレスの人とか、一見誰かから見たら汚いと思われたとしても、彼らは彼らなりに美しく生きている。つまり本質的に「生きている」というベースがあるんですよね。その「生きている」というベースの美しさを誰も評価しようとしないこと自体、偏見そのものなんだと思ったんです。偏見は「自分の基準」と「対象」の比較から生まれてしまっているなと思ったので、本質的に生きることの美しさを服で表現したいなと思いました。
その中で比較対象がないものってなんだろう、と考えた時に、生物の美しさや命を連想して、「ヘビクイワシ」という鳥に出会いました。このヘビクイワシは元々知っていたんですが、調べてみると孤高種で、比較対象なしにその種で完結していることがわかって。ヘビクイワシをモチーフに選ぶことで、比較することで生まれる美しさではなく、生物そのものが持つ美しさ、生命力をルックに表せたら良いなと思いました。
―ショーのテーマ“Impression”との関係を詳しく教えていただけますか?
生命力という主題からの派生ですが、本質的に人間は生きていて、それに加えて綺麗にあろうとしますよね。でも他者から見たとき、綺麗であろうとする姿は時に見苦しかったりして。そういう偏見とか「着飾ること」は、「いかに存在するべきか」という問いに繋がっている気がします。生命力の対称的な存在として、人間の偏見と本質があって。見苦しさや他者からの評価・判断をファーストインプレッションとしたとき、存在することそれ自体がラストインプレッションだと解釈しています。そういう主体的な生き方、人間が存在する姿そのものに生命力を見出しました。
―こだわりや特に見てほしいポイントはありますか?
服でしかできない表現をする、というのは去年からずっと決めていました。どの素材や形を使えば表現できるか考えて、ニット生地など含め、テクスチャーにはこだわりました。またモチーフとしてヘビクイワシと言っているので、鳥としての表現や魅力を服で出せているか、ですかね。羽毛とかは使っていません。
―今年度1年間、デザイナーチーフとして過ごしてきた中で思うことはありますか?大変だったことなどもあれば教えてください。
去年の反省をする中で、一人一人が満足できたかどうかを考えました。Keio
Fashion
Creator(以下ファックリ)の中でデザイナーは特殊だと思っていて。表には出ないけれど、個人のスキルを問われ、作った服がファックリの顔になって「みんなの自信作」になっていくわけなんですよね。それってすごく重いことなんですけど、その点で去年は一人一人が自分に対して頑張りきれなかったり、満足できなかったりした部分があると思いました。そういう意味で今年デザイナーチーフになってから問題として感じたのは、みんなスキルが足りないということでした。それに関しては、今年は引退した先輩方のお助けもあって、技術的なところを補ってくださいました。なので全員が自分の作品に満足できる状況になったあとに、ファックリのデザイナーとして自信を持って活動できるようにする、メンタル的な部分を補うのが私の仕事だなと思いました。
けれど一人一人が何をしにここに来てるのか、その目的を把握するのが最初は難しくて。でも最終的に最後のフィッティングを終えた今思うのは、今年のデザイナーの子達は本当に真面目で素直で、できないって言ってくれるから、そこはスキルで補えるんです。そうやってできないことをはっきり「できない」と言わせられたことに、私は結構満足感をおぼえていて。皆はまだファックリのデザイナーとしてどうあるか、というところまでは考えていないかもしれないけれど、技術的な完璧なサポートがある上で、自分の表現したいものとか素直にさらけ出してもらえたんです。私が何かできたってわけではないと思うんですけど…。ただみんなが素直に、真面目にESMODに来てくれて、何かが変わったんですよね。簡単に言えば、みんながまっすぐ向かって来てくれるようになったというか。みんながそうやってファックリに対して素直になって、完璧に仕上げてくれたことで、何かしらの責任がみんなに芽生えて、ファックリのデザイナーとして誇りと自信を持ってもらえたのかも、と思ったり。そこに関しては突破できたのかなと思います。
去年と比べても、余裕を持って高いクオリティで、堂々と自分のしたい表現をできていた気がします。私はデザインがすごく大事な工程だと思っているので、デザインを考える段階で夏休みの宿題としてやって来てもらったんです。みんなに「自分の好きなものはなんですか」と問いかけるところから始めて、「それとImpressionとの関係は?」とか質問を投げて。それに対して全部私が文献を調べて、デザインの方法も指南していったときに、みんなが長文で書いてきてくれたり、私との受け答えもしっかりやってくれたんです。そういったところの責任と素直さが、みんな苦に感じていなかったんだなと思えて。そうやってストレスがない状態で、胸を張ってやりたいことがやれたというのが今、形になっているんです。私が投げたボールを、みんながしっかり返してくれたんですよね。デザイナーの同期にも恵まれたと思います。私自身がチーフとしてやった細々した仕事も、デザイナーのみんなが100%同等のものを返してくれたから、「ああやってよかったな」と感じる瞬間が多かったんです。チーフとして何を頑張ったって言えないんですけど…常にデザイナー全体の利益を考えて、いかに制作しやすくするか考えて。チーフができることは助けることよりもサポートなので。でも助けを求めている声は届くから、その声にいかに全体の統率者として答えるか、という点についてはできたかなと思っています。楽しかったです。
―見にきてくださるお客様に一言お願いします!
私たちがショーをやるのはある意味で、お客様に自分たちの活動の存在証明をしてもらうところで完結すると思っています。一人一人、違う方向を向いていた人たちがこの日のために頑張ってきました。ありきたりなことしか言えないですが…ぜひ楽しんでいただきたいです!お気をつけてお越しください。
デザイナーインタビュー4日目
2019 NAOKI OHATA by Keio Fashion Creator
大畑直輝さん
・ルックのテーマを教えてください。
「表層と本質」です。
・今年度のショーテーマは”impression”ですが、ルックのテーマとの関連性を教えてください。
人はまず物事をほとんど視覚のみで判断し、認識するので、その本質を一度で捉えるのは難しいと思います。人間の第一印象や第二印象と同じです。
服が簡単に大量に作られている昨今、1着の服に対する人々の価値感が変化しているように感じるため、もっと服の細部や「質」に目を向けて欲しいという思いを本テーマimpressionと重ねました。
マーブリング染色は一度描いた柄は再び同じ柄を描くことができないので、それが一度形成された印象が変化しづらいということと似ていると感じました。布の表層に染料を重ねるという行為にも関連性があります。
・デザインをする上で何かインスピレーションを受けたものはありますか?
オスマン発祥のマーブリング染色、そしてクリスチャンディオールのnew
lookです。
・特に注目してもらいたいところはありますか?
ウィメンズのルックは、ジャケットの素材や細かい箇所、プリンセスラインや玉縁ポケットなど、ひと目では分かりづらい細かい部分に注目してもらいたいです。またスカートから透けて見えるパンツも同様です。
メンズのルックは、マーブリング染色の帆布、pvcの切り替えと箱ポケットに注目して見てもらいたいです。
・最後にショーへの意気込みを聞かせてください。
2年目で、飛躍の年なのでクオリティーの高い服、既製服のような服作りを目指して励んできたので後悔のないショールックにしたいです。
デザイナーインタビュー3日目
2019 RUI NAKANO by Keio Fashion Creator
中野るいさん
・ルックのテーマを教えてください。
「人間性」です。
・今年度のショーテーマは”impression”ですが、ルックのテーマとの関連性を教えてください。
私が普段感じる人間に対するimpressionを表現しました。
・デザインをする上で何かインスピレーションを受けたものはありますか?
モネ展で見た印象派の絵画からインスピレーションを受けました。テーマのimpressionから印象派の絵画を連想し、印象派の絵画と人間性に重なる部分を感じ、表現しました。
・特に注目してもらいたいところはありますか?
スリットの下から、背中から、上着の下から見える人間性です。
・最後にショーへの意気込みを聞かせてください。
デザイナー2年目として昨年よりも成長し、素敵なルックを魅せれるよう頑張ります!
デザイナーインタビュー2日目
KEITA MATHUMOTO by Keio Fashion Creator
松本啓汰さん
・ルックのテーマを教えてください。
「雑草」です。
・今年度のショーテーマは”impression”ですが、ルックのテーマとの関連性を教えてください。
雑草は一見邪魔で地味な存在(First Impression
)です。でも目を凝らすと、大輪の花よりも健気で美しい(Last
impression
)。その美しさを知ってしまうと思わず二度見してしまう不思議な存在です。
・デザインを考える上で何かインスピレーションを受けたものはありますか?
出身地の自然やゲンノショウコ、他のデザイナーが作った服、部員の言葉です。
・特に注目してもらいたいところはありますか?
加工した素材 (染色やダメージ加工)、服自体のバランス
や全体とのバランス、服の内側です。
・最後にショーへの意気込みを聞かせてください。
雑草はその生命力で、誰からも気づかれることなく根を深く広く伸ばし土台になります。この服が目立たなくとも、皆の作った服を引き立て繋ぎ合わし、ショーに何か統一感をもたらす、そんな健気な「雑草」になってくれればと願います。
デザイナーインタビュー1日目
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①森本未空さん
・ルックのテーマを教えていただきたいです
Instagram上だけ着飾り、ありのままの姿を失ってしまった女性をテーマにしました。
・ショーテーマ”impression”との関連を教えてください。
first
impressionとして、デザインの表面はInstagram上では誰もが羨むキラキラとした、美しい女性を表現し、last
impressionとして、デザインの裏面は、周りに見られないように隠している本来の自分が見え隠れするようなイメージでデザインしました。
・デザインを考える上でインスピレーションを受けたものはありますか?
ネットでInstagramに執着しすぎてしまった現代の女性をスクープした記事を読みました。周りに羨ましがられる生活をInstagram上の写真で作り上げるために、多額の借金を抱えたり、身の丈に合わない生活をする女性たちの姿は、確かに普通とは言い難い行為だと思いましたが、このネット社会では見逃すことのできない問題であり尚且つ自分にも少し重なるところがあり、この女性像をデザインで表現したいと思い立ちました。
・ルックの中で注目してほしいポイントはありますか?
ワンピースの裏面で、カーテンを表した所から本来の自分が見え隠れしている感じをデザインした所が気に入っています。デザインだけでなく色の対比や生地にも注目していただいて、その女性の表の姿、本来の姿をぜひ創造してみてください。
・ありがとうございます。では最後にショーへの意気込みをお願いします。
各部署がこのショーのために取り組んできた結果を良くも悪くも大きく左右させるのが私たちデザイナーだと思っています。そのためプレッシャーはすごいですが、来てくださった方に少しでも良い刺激を与えられるような衣装に仕上げていきたいです。
②ハセベチカさん
・ルックのテーマを教えてください
”画一からのもがき”です。
・ショーテーマ”impression”との関連を教えてください。
遠くからみると縦長シルエットのカチっとした洋服だけど、近づいてくると襟や裾にエッジが効いていて、オケージョン用の服じゃないんだと思えるかもしれません。その解釈は個人次第だと思います。
・デザインを考える上でインスピレーションを受けたものはありますか?
Gossip GirlのJenny Humphrey役を演じたTaylor
Momsenです。彼女の役にも彼女自身にも、悪役とか降板とかあまり良いイメージがついて回りませんが、ドラマの中でも自分の家系が障壁になりながらも、何とかそれをひっくり返そうと常に実力や才能の力を信じてトライしていた人だと個人的に感じましたし、そういう人を尊敬しているので、彼女自身のイメージを服に落とし込んでみたいと思いました。
・ルックの中で注目してほしいポイントはありますか?
フリルは直接足に巻き付け、独立させた点です。
・ありがとうございます。では最後にショーへの意気込みをお願いします。
服をデザイン、制作するとは何かを勉強するためにこの団体に入会しました。元々絵を描くのも、イメージを膨らませるのも大の苦手なわたしでも形に残せるまでに至りました。手取り足取り教えてくださった皆さんに感謝します。
③佐藤大輝さん
・ルックのテーマを教えてください。
「死」です。
・ショーテーマ”impression”との関連を教えてください。
死ぬことは終わりであるという偏見があり、死は醜いものだとされることが多くあります。たしかに現世は素晴らしく美しいものです。でも、死によって極楽浄土へ世界へ送り出されるという考え方もあります。戦国時代などでは、国のために死ぬことが美とされていました。「自分の命よりも大切なものがある」。それこそが「美」なのではないでしょうか。
しかし今の時代、自殺は”いけないこと”という認識があります。これは偏見だと思います。たしかに先ほど述べた「美」とは少し違う部分があると思います。でも、自殺というのは本当に命を冒涜する行為なのでしょうか。神様が期限付きでくれた命をちゃんと使い切らないといけないなんてルールがあるのでしょうか。自殺は人生からの逃げだと言われることもありますが、そうではなく、どこにも逃げる場所がなくなった上での行動なのではないでしょうか。追い詰められて、足掻いて、それでも生きることを諦めた人を責めることができるのでしょうか。自殺であろうとそれは「美」なのではないでしょうか。よく考えてみると最初の印象とは違います。
・デザインをする上で何かインスピレーションを受けたものはありますか?
仏教の死装束である経帷子です。
・特に注目してもらいたいところはありますか?
1つ1つのディテールに意味が込められているところです。
・最後にショーへの意気込みを聞かせてください。
初めてのショーなので後悔のないようにしたいです。
④和田実桜さん
・ルックのテーマを教えてください。
「結婚だけが女性の幸せじゃない」
・ショーテーマ”impression”との関連を教えてください。
結婚が女性のゴールだという固定観念が今もなお存在しますが、結婚は幸せの1つの形であるにすぎないと私は考えています。仕事や趣味に傾倒していて、結婚を選択しない女性もいるというのは当然のことです。幸せの形は多種多様なので、誰もが自信をもって自由に選択できる社会へ近づいてほしいという願いから、自分の意思で選択できる芯のある女性を表現したいと思いました。結婚が女性のゴールだという固定観念をファーストインプレッション、結婚は幸せの一つの形に過ぎないという真理をラストインプレッションとして表現し、そこの変化を服に落とし込みました。
・デザインをする上で何かインスピレーションを受けたものはありますか?
和田彩花さんが、アンジュルムのメンバーとして最後に参加したシングル「恋はアッチャアッチャ」のMVにて、ウエディングドレスを着用させられた際の感想からインスピレーションを受け、ルックを作成しました。
・特に注目してもらいたいところはありますか?
小さなパーツですが、後ろ身頃にスエードを用いたところです。
・最後にショーへの意気込みを聞かせてください。
ー今回の作品作りを通して、デザインの難しさや製作の楽しさを改めて学びました。一年間頑張ってきた活動の成果がたくさんの人見てもらえるということに、喜びを覚えながらも非常に緊張しています。デザイナープレゼンでは自分の思いを十分に伝えることができませんでしたが、完成した作品を見て、少しでも感じ取ってもらえたら嬉しいです。
⑤辻 巽さん
・ルックのテーマを教えていただきたいです。
簡潔に表すと…「食」ですかね。
・ショーテーマ”impression”との関連を教えてください。
皿に盛られた美しく美味しい食の本質的汚さ
・デザインを考える上でインスピレーションを受けたものはありますか?
「ヌキテパ」という土食料理を出す店です。
・ルックの中で注目してほしいポイントはありますか?
布の揺れ感です。
・ありがとうございます。では最後にショーの意気込みをお願いします。
僕が伝えたいことが伝われば幸いです。
着物
2019.11.13 KANON KURODA by Keio Fashion Creator
皆さんは日ごろから着物に触れているだろうか。少し前に成人式の前撮りで振袖を着た。私は日常的に着物を着用しているわけではないので、どこか非日常にいざなってくれた感じがして、気持ちが高ぶった。着物というものにとても魅力を感じた。
なぜ私は着物を魅力的に感じるのだろう?
着物を着ると自然に背筋が伸びて、口角が上がって、動作の一つ一つが少し上品になること。あの独特な緊張感のある感じがたまらなく好きだ。お気に入りの洋服を着たとき、新しい洋服を着たときも確かにいつもより姿勢が良くなる。でも、着物をまとった時のほうが美しくありたい、美しく見られたいと思って、頭から足先まで神経をとがらせる気がする。
そして着物には、洋服と同じようにコーディネートを楽しめるという魅力がある。同じ着物でも、帯や下駄を変えるだけで全く違う表情を見せる。着こなし次第でどんな風にもなり得るのである。
洋服が主流になるまで、着物は日本人にとって「着る服」であった。ものすごく身近であったはずのものが、今では珍しいものになってしまった。素敵なものなのに勿体ない気がする。
ある人が、「伝統を絶やさないためには変化を恐れないことだ」と言っていた。ぜひ、洋服好きの皆さんだからこそ出来る、固定概念に囚われない着物の着こなしをして頂きたいと思う。きっと今までにないような素敵な和装に出会えるに違いない。
流血するファッション(思想1)
2019.10.29 HAYATO KITAZAWA by Keio Fashion Creator
ファッションに影響を及ぼす三大要素。すなわち、労働とスポーツと戦争。仕事をするための服があり、競技をするための服があり、殺すための服がある。衣服のデザインは、これら3つの活動に必要な機能から生まれ、これら3つの活動をさほど実践しない人々に流用される。ちょうどビルドアンドスクラップの理念のように、アフェア(出来事)があるからこそより実用的な生産がされるのだ。
フライトスーツは全身を繭のように覆い身体を保温するものだ。コックピットのカバーがない初期の戦闘機内では間違いなく時折、駅前で配布されている無料モンスターエナジーよりも身が温まる高尚なものだ。更に時代が進むと膝の上で書類を書くために膝に固定できるクリップボードが設置されたり、加えてパイロットが任務を遂行しやすいように、健康を維持できるように設計されていった。やがて様々な機能が取り付けれ洗練されたフライトスーツは単に飛行のためだけではなく宇宙の為の衣服となった。NASAを象徴する宇宙飛行士のユニフォームは、空軍のフライトスーツがブルーに変化したに過ぎない。戦争で使用されたウエアが変形して各々の用途に合わせ、MA-1やミリタリージャケット、ブーツはごく日常に目にするようになった。戦争が日常に溶け込んでいる、あるいは平和ボケによる軽視なのか。しかしこう捉えることもできる。実用性がよりファッションにおいてあるべき本質へと近づきながら脱皮を繰り返しているのだと。
また、戦争とは一線を画した「テロ」についても言及しておきたい。1998年のコロンバイン高校銃乱射事件のCCTVに写っていた二人組。彼らは防弾チョッキ、一組の黒手袋、背中にストラップのついた銃のハーネスを身につけていた。HELMUT
LANGが作成したテロ行為を衣服で表現するタクティカル
ルックは恐怖と暴力、戦慄とパニックの記憶を引き起こさせるものだが、何の考慮も適切な規制もなしに銃弾が飛び交う社会において、私達の無意識の何かが、魅力的な現代の甲冑というファッションに、私達を駆り立てているのだ。近年頻繁に耳にすることが多い「テロ」。HELMUT
LANGを筆頭にこういったタクティカルは教訓と赤色のモールス信号を日常において想起させてくれる。さらにこのラグジュアリー
タクティカルなファッションは、私達がオシャレと考えるものの限界を押し上げるものだ。だが同時に、私達の多くが遭遇しないようにと願う類の美学を理想化している。
―次回は宗教と哲学を交えたものをまとめたいと思う。
最初のヴィンテージジーンズ
2019.11.06 KAZUYA IWAMOTO by Keio Fashion Creator
男性でも女性でも、ファッションを気にするか否かに関わらず一度も履いたことがない人はいないであろうとも言えるジーンズ。さらにいうと、洋服好きな人なら一本は欲しい最高の一本。今回は先日僕が手に入れた最高の一本について書きたいと思います。
そのジーンズとは「Levi’s 501 60s BIGE
Stype」です。
Levi’sのジーンズ自体でも沢山の種類があるのですが、その中で僕は最初のヴィンテージジーンズとして501
BIGEを選びました。最初のヴィンテージジーンズということで66前期を狙っていたのですが、仲良くしていただいている古着屋の方に66前期を数本ピックしていただく際、66前期の他にオススメの一本としてピックしていただいたのが501
BIGEでした。ピックしていただいた66前期三本を試着してみると、三本とも同じ66前期なのにインディゴやシルエットにおいてそれぞれ異なる良さがあり、どれも一本目には十分すぎるものでした。そして最後に501
BIGEを試着したのですが、見た瞬間わかるインディゴ、綺麗な縦落ちなど、66前期よりも圧倒的なかっこよさがありました。
今回僕が購入したジーンズについてなのですが、1960年代後半頃の“501
XX”から “501 BIGE”
への移行期間に製造されていた、大変希少な、501 BIGE 通称 “
Stype”モデルと呼ばれるものです。タイプものについては、諸説があるものの、1960年代の拡大生産に伴って、製品管理手段としてパッチに A・S・Fのスタンプ記号が用いられていた頃のものとなります。綺麗な両耳、まだまだなのですがボタンフライによる色褪せ、TOPボタン裏の4の刻印、耳付き、イエローステッチ、なんといっても40年前のものとは思えないインディゴなど、ディテールがかっこよすぎます。
わかる人にはインディゴを見ただけでBIGEとわかるそうです…
そしてLevi’sの特徴とも言える「右綾」。生地が右上方向に縫われているためレングスにかけて右にねじれが生じ、履いていくほどこのねじれによりすごく味が出ます。
今回僕は最初のヴィンテージジーンズとして501
BIGEを購入したですが、やはりいつかはLevi’sの代名詞モデル501XXを手に入れたいです…
僕が先日買った501
BIGEについてはここまでなのですが、近頃、ヴィンテージ古着の価格が高騰してきています。ここ最近の古着ブーム、インターネットの発達、そしてなによりそもそもの数に限りがあること。さらに日本に限らず、他の国にもコレクターがいるからです。Levi’sなどのヴィンテージジーンズ、ChampionのReverse
Weaveは特に価格の高騰が予想されています。
皆さんも価格が高騰する前にぜひ購入してみてはいかがでしょうか。
今回は最初のヴィンテージジーンズについて書いてみました.
最後まで読んでいただきありがとうございます。
偏見
2019.11.06 MARUNA KAWASHIMA by Keio Fashion Creator
受験が終了し、現在通っている大学への入学が決まったとき、私が真っ先に心配したのは異郷の地での一人生活や、一からの人間関係の構築などよりも、自分の外見についてだった。大学のカラー的に女性はキラキラしていて身につけるのはthe
女子みたいな服だと思っていたので、ウルフカットで普段真っ黒の服ばかり着る私は馴染めるか、友達はできるか不安だった。
上京するとき、持っていた服はほぼ実家に置き、必要最低限の衣服と母からもらったお気に入りのマックスマーラのジャケットだけを入れた小さなスーツケースを片手に新幹線に乗り込んだ。
いざ可愛い服を買いに行こうと思って意気込んで新宿に買いに行くも気にいるものは見つからず、結局形が無難な黒のスカートとトップスを買った。
キャンパスライフを送るうちに友達は心配していた反面沢山できた。しかし、どこかでまだ自分の外見を執拗に気にする自分がいて、悶々とする日々が続いていた。
そんな中、ファックリの今年のショーのテーマの発表があった。その中で、“第一印象からの変化“というものがあった。内容としては、“ある対象を認知するときは必ず第一印象が存在するがこれは重要ではあるが、対象を100%理解できる要素ではない。印象は時間をかけて変化していく”
というものだった。そこで自分の気にしていたことの小ささと、私自身が大学に偏見を持っていたかもしれないということに気づき恥ずかしくなるとともに、自分に味方ができたような気がして、すっとした気分になった。
すぐに母に連絡し、お気に入りの黒い服を送ってもらった。その日から、もしこれから好みが変わったらと思うとなかなか買えなかった自分好みの服を躊躇なく買うことができるようになった。今年の冬も実家に置いてきた私らしい服をいっぱいきてあげようと思います。
無言の主張
2019.10.28 MOE NAKATA by Keio Fashion Creator
私は言葉で表現することが苦手だ。人と話していても自分が心に抱いていることをうまく言葉にして表すことが出来ない。大人数で話すときは尚更話に入ることが出来ず、大人しい人だと認識されることもある。だから私はこのブログを書くのにも苦戦している。このブログではそんな私にとっての“服”について書こうと思う。
私は小さい頃、小学6年生まで母親が決めた服を着ていた。中学では体育会系の部活に入っていたこともあって、ジャージを着ていることが多かった。服に興味を持ち始めたのは高校生。私服登校の高校であったため、毎朝自分で服を決めなくてはならなくなった。雑誌を見て自分の好きな服を探したり、友達の真似をしたりして、自分が心から好きと言える服を探す日々が始まった。そうしているうちにコム・デ・ギャルソンに出会った。母が私をコム・デ・ギャルソンの店舗に連れて行ったのが始まりだった。黒を基調とした服であるのに、その服一つ一つにしっかりと個性があって、可愛らしい。そして何か私たちに訴えかけているように感じる。黒くて可愛い服を好きになり始めていた私はコム・デ・ギャルソンの服たちにすぐに心を奪われた。
私はコム・デ・ギャルソンに出会ってから自分の好きな服がわかるようになった。私が服を着る上で一番大切にしているのは“メッセージ性のある服を着る。”ということだ。全ての人に伝わらなくても良い、誰か一人が私の着ている服を見て何かを感じ取ってくれれば良い。少なくとも自分がその服に出会った時に何か強いメッセージを感じた服を着る。これは私の服を買う基準でもある。
はじめに、私は言葉で表現することが苦手だと書いた。服はそんな私のことを助けてくれる。私にとっての服は“無言の主張”である。何も話さなくても、言葉で表現しなくても、服を着ているだけで自分を表現できる。話しかけてくれる人がいる。服は私にとって必要不可欠なコミュニケーション手段でもある。私はこれからも服を着て無言の主張を続ける。私の服を見て何か強いものを感じ取ってくれる人とたくさん出会えることを願っている。
エシカルファッション
2019.10.27 NODOKA JIN by Keio Fashion Creator
皆さんはエシカルファッションという言葉を知っていますか?
エシカルファッションフォーラムはエシカルファッションを次のようなポイントで定めています。
1. 衣料品を短いサイクルで大量生産する手法に対抗している
2. 公正な賃金、労働環境、労働者の権利を擁護している
3. 地球環境にやさしいサステイナブル(持続可能)な生活を支持している
4. 有毒な農薬や化学品の使用に対する問題提起をしている
5. エコフレンドリーな布や材料を使用・生産している
6. 水の使用を最低限に抑えている
7. リサイクルを行っており、エネルギーの効率化や無駄をなくす取り組みをしている
8. ファッション界におけるサステイナビリティ(持続可能度)を促進・広める活動をしている
9. 資源を提供している、育成をおこなっている、そして/または問題提起をしている
10. 動物の権利を尊重している
つまり簡単に言うと人と地球に配慮したファッションのことです。
近年日本でもこのようなコンセプトを持ったブランドが増加していて、私たちも人や環境に配慮しながらおしゃれを楽しむことができます。
例えば『casa
fline』というブランドでは、環境負荷が少ない素材を利用した製品の作成、余剰素材の活用によるゴミの削減、売上金の一部の環境保護活動への寄付など環境に配慮した取り組みが多く行われています。私はワンピースを購入しました!デニムは岡山のものを使用しているそうですよ!デニムとプリーツという斬新なデザインがとてもかわいいです♪
こちらのリンクから見てみてください!
https://casafline.com/products/detail?product_id=201
このようにエシカルファッションは私たちのとても身近にあります。是非環境や人に配慮したファッションについて考えてみてはいかがでしょうか?
READY TO FASHION OFFLINE に参加して
2019.10.31 NODOKA JIN by Keio Fashion Creator
今回は、ReadyToFashionさん主催の就活イベント「OFFLINE」に初参加した部員に感想を書いてもらいました!Keio
Fashion
Creatorでは毎年部員が多数参加しているイベントで、ファッション業界に興味のある方にはすごくおススメです。参考にしてみてください!
https://www.readytofashion.jp/mag/event/offline_5_2019_sep/
9月4日にReady To
Fashionさんが主催している「OFFLINE」というファッション業界を中心とした、就活イベントに参加させていただきました。
私は、現在大学一年生なのですが、今回のイベントは自分の将来を考える上で非常に貴重な経験となりました。当日は12社の企業が参加しており、参加者は自由に企業ごとのブースを回ったり、企業ごとのトークショーを聞いたりすることができました。
私は、小さいころから洋服が好きで、現在は4年生の大学で政治学を学んでいますが、将来何らかの形でファッション業界に携わりたいと考えております。しかし、アパレル業界に就職するにあたって不安なことであったり、まだよくわからないことがあったりしたので、そうしたことを解消したいと思い参加しました。
実際、話を聞いたり質問をしたりする中で、今まで全く知らなかったことや意外に思うことがたくさんありました。また、後日、「OFFLINE」に参加されていた企業のインターンシップにも行きました。そうしたインターンシップの情報もOFFLINEに参加することがなかったら得ることはなかったと思います。情報を活用して自ら積極的に様々なことに参加していくことの重要性を感じました。
これから2年生、3年生になるにつれて就活が近づいてくることになりますが、日々自分で情報を収取し新たな可能性やチャンスを見つけ出していこうと思いました。その行動が自分の将来につながっていくと良いと思います。
何事も糧になる
2019.10.26 NONIKA WAKISHIMA by Keio Fashion Creator
わたしは古着屋でバイトをしています。先日、普段働いていない店舗にヘルプで出勤した日のことを書きたいと思います。その店舗で私は、お店の服で全身をコーディネートしたディスプレイを作るように言われました。友達と遊び感覚でコーディネートした経験はありましたが、仕事上では初めてでした。一言で言うと、とっても難しい仕事です。
まず、店の中で販売されている服の中からコーディネートするため自分好みの服があるとは限らないということです。運悪く、その日は全くと言っていいほど自分が着たいような服はありませんでした。そして私は普段から柄や派手なデザインがプリントされた服は着ません。一般的に言うシンプルなファッションが好きです。シンプルなファッションは服以外の髪色、アクセサリー、その人自身が醸し出す雰囲気を際立たせてくれます。しかし、ディスプレイでそんなものは表現できません。だから、ディスプレイでシンプルなスタイリングだと「ただの地味なファッション」になってしまうのです。
そんな中、20分ほど試行錯誤してようやく自分の中でしっくりくる一体のスタイリングを完成させました。しかし、社員さんに見せると「この格好で街を歩いてる人、今どのくらいいる?」と言われてボツになってしまいました。私はファッションが好きなため、他の人とかぶるような、俗に言う「よくあるファッション」は好きではありません。かといって、シンプルが好きなので街で歩いていてもおかしくないようなスタイリングでした。
社員さんの言葉は、自分の貫いている核心を否定されたようでとても悲しい気持ちになりました。街を歩く人をターゲットとしたスタイリング?自分独自のスタイルを持つ人間にとって、他人のニーズを押し付けたファッションを完成させることはとても苦痛だと思います。個性を潰すことと同じです。
私のスタイリングを見て「良い!」と思ってくれる人が全員だとは思いません。もしかしたら社員さんの言葉が意味するように少数派かもしれません。しかし、自分が好きでもない、他人から要求されたスタイリングで賞賛を得られたところで喜びに感じますか?少数派だとしても、自分を貫いたことに好感をもってくれる方が幸せに感じませんか?私は後者を幸せに感じます。
人にとって感じ方はそれぞれですが、私はファッションに限らず、何事も自分の考えが少数派であっても貫いて生きていきたいと思いました。そう思えたキッカケになった出来事でもあるので、悲しい気持ちになったからいって無駄なことは1つもないのかもしれません。
安藤忠雄から、物作りの極意を学ぶ
2019.10.29 YUTO TANISHIKI by Keio Fashion Creator
はじめに
私は美しい建築が好きだ。とは言っても建築家を目指しているわけではなく、何か専門的なことを学んでいるわけでもない。ただ、好きなのだ。何か美しいものを作り出すことは容易ではない。ただでさえ困難なのに建築といったらあの規模だ。日本を代表する建築家、安藤忠雄はそれをこなす。こなしているだけではない。日本美の極致とまで言われている。完全に自分のスタイルを確立し、誰と競うわけでもなく我が道を行く。今回はそんな彼から、ものづくりの極意を学ぼうと思う。
安藤忠雄の思想、表現
まず、なぜ彼の建築はこんなにも人を惹きつけるのか。それには彼の「視覚的な美しさよりも、人生を賭けた表現だけが崇高な感動を呼ぶ」という信念が由来しているのだと思う。そして彼は身体化された経験値だけが本当の意味での武器になると言うことを確信し、頭だけで建築を作らない。脚を使い、体を使って京都や大阪の民家や茶室、日本建築を直接見て周り、それらの体験を掛け合わせ、建築を作る。そして彼にとって本とは、知識を得るためのものではなく思考を方向付けるための触媒なのだ。学生時代、プロボクサーとして身体をフルに使うことを行なっていた経験が、彼のこの思考の土台を作ったのだろう。私も彼の信念に共感した。私はとにかくインプットをし続けることを大切にしているのだが、クリエイティブな事柄については特に経験を身体化することに気を使っている。例えば建築、アート、ファッション、音楽、映画、舞台など。本で得る情報だけではなく、自分の目で見て肌で感じ、感覚としてそれらを自分に取り込むことで、オリジナルのインプットを可能にする。身体的な体験として学習することで、自分の中に深く刻み込む方法だ。
彼はたしかに、視覚的な表現よりも人生をかけた表現だけが崇高な感動を呼ぶとは言ったが、なにも視覚で訴えることをないがしろにしているわけではない。彼の建築を見れば分かるが、むしろその点にはかなり長けているともとれる。美しさを纏っているからだ。しかし彼は、あくまでも美しい建築を作ることを目的とはせず、自分の建築に対する信念に則った結果が美しさを纏う。結果的に彼は視覚で無垢な美しさを訴え、精神的な表現で崇高な感動を呼んでいることになるのだ。もはや彼のクリエイター精神に隙はみえない。
そんな彼の建築は「壁の建築」と言われており、マテリアルを限定しその特有のテクスチャーを裸形のまま表現するという特徴がある。厳選された素材は、彼の建築に禁欲と緊張をもたらすそうだ。そして裸の壁は強くて重い。そのうえ寡黙であるとも言う。代表されるのはコンクリート打ち放し。”住吉の長屋”に始まり、殆どの作品にこれが用いられている。そして手や足、人の体が触れる部分にはいつも木や石のような自然の素材を使用するのだ。私はこれらの点に、日本美の極致と称される所以をみた。彼の作り出す空間には暖かさも冷たさもない。無なのだ。この「無の場所」こそ日本の文化そのものであり、美的感情を注ぐ余白となりうる。水墨画家の雪舟を彷彿とさせる「間の美学」の体現だ。
実際に身体的な体験として学習する
私はそんな彼の建築を自分の肌で感じたのだ。
”21_21DESIGNSIGHT””表参道ヒルズ”を観て、さらにはこの夏、「アートの島」と呼ばれている香川県の直島にも足を運び”地中美術館”も観てきた。21_21DESIGNSIGHTは低層建築。巨大な鉄板の屋根は三角形をして、一角のみが地面に届きそうなほど低く傾斜していた。見たことのない造形で、それはとてもスタイリッシュだった。三宅一生の服作りのコンセプト「一枚の布」から着想を得て、一枚の鉄板を折り曲げたようなデザインにしたそうだ。そしてガラスには日本最長の複層ガラスを使っている。
そんな21_21DESIGNSIGHTにも語るべきことは沢山あるが、私が彼の建築で最も衝撃を受けたのはやはり”地中美術館”だ。建築のテーマが「自然と人間を考える場所」とされ、館内にはクロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が設置されている。そして受付から美術館が少し離れており、その間にクロード・モネの”睡蓮の池”で有名な池が再現設置されていた。それ自体も圧巻だったが、これが、私の美術鑑賞の前戯とも言える没入感の促進となっていた。
そうして鑑賞を終え、気づいたことがあった。この建築には彼の特徴が、他と比べて特に多く取り入れられていたのだ。
まず外観。やはり使用されているマテリアルは裸形のコンクリート。そして地中美術館という名前の通り、地面に埋設されていた。「周囲の景観を損なわないように配慮する」というその配慮の中に、彼の独特な感性があったのだ。そして館内へ入るといきなり、細長く伸びた道に案内される。そこもコンクリートで作られていて、道はだんだんと狭く囲まれていく。私の理想的な展開だった。美術鑑賞という非現実的な体験をする時には、”ここから先は異空間である”というような演出を受けて没入感を得たい。現実を忘れた上で鑑賞したいのだ。彼のそれは圧倒的だった。無機質なコンクリートという素材を使っていることも、この展開によってまた新たな意味を持つ。
そしてその入り口もそうだが、他にも天井がない空間がいくつかある。完全にひらけた空なのだ。そこから見える空には太陽があり、陽の光によって照らされた壁は明るく暖かい表情に、照らされていない影の部分は暗く冷たい表情になり、それらは美しく二分化され、時の経過とともに変化し続ける。他の建築でもそんな要素があったのを覚えていたので、彼は「自然光による光と影」をとても巧みに扱うのだなと思った。自然を有効に活用することが既に安藤忠雄の特徴をもっているのだが、空はその中でも特に重要な要素だと感じる。
ウォルター・デ・マリアの作品を収容する部屋に行くと、そこは寡黙なコンクリートで作られた広い空間だった。そこでも目についたのが天井。コンクリートなことに変わりはないのだが、縁(ふち)が無い。そしてそこからは自然の光が差し込む。この縁をなくしてしまうと、その空間は完全に自然光を失い、温もりを遮断してしまう。安藤忠雄は”住吉の長屋”からこれを学び、試行錯誤した結果”小篠邸”以降の建築に見られる天井の縁から光を取り込むスタイルを確立した。こうしてみると彼はこだわりや信念、美学など精神面にとても重点を置いていることがわかる。
欠如の美学
そして彼は住宅を設計する際、もう一つの美学を露わにする。「欠如の美学」だ。”住吉の長屋”がこれの代表だが、この住宅は完全ではないのだ。中庭に屋根が無い為、雨の日には傘をさして便所に行かなければならない。この屋根を置かない設計には賛否両論があるが、私はとても美しく感じ、そして感動した。彼の意思を知れたからだ。住宅の最大の主題は言うまでもなく家族愛であり、彼はこの家族愛を欠如で表現する。「欠如しているがゆえに人を愛し、持っていないものを与えることこそが愛である」きっと私が感動したのは言葉や意思だけではなく、彼の身体化された経験をそこに感じられたからではないかと思う。そもそも、身体化されなければ愛を欠如で表現しようという考えには到底至らないだろう。
そんな彼の美学、信念を学び、私の新たな思考の方向付けができればと思う
初めてのサービスシューズ
2019.10.09 KOHEI EGUCHI by Keio Fashion Creator
先日下北沢のとある古着屋で購入したUS
NAVYのサービスシューズのついて、その購入
の経緯等を紹介しようと思います。
サービスシューズとはその名の通りUS
NAVY(アメリカ海軍)で支給されていた靴です。今
日の革靴は全てこれを元にしているとのことです。生産されていたのは1940〜1990年代
で、それ以降は生産されていません。そのためヴィンテージ好きの人たちから人気を集め
ています。
軍靴ということはつまりミリタリーという部類にくくられますが、少し前まで僕はミリタ
リーものにあまり興味がありませんでした。そんな僕が興味を持つきっかけとなったのは
、古着好きの親友の影響です。元々服に興味を持つようになったのも彼の影響だったので
すが、そんなカッコいい彼が履いていたサービスシューズに憧れ、彼が勧めてくれたこと
もあり、僕も履きたいと思うようになりました。ですがサービスシューズといっても年代
もたくさんあるし、せっかく買うならこだわりを持ってと思っていましたが、知識もそこ
まであるわけでもないしどうこだわればいいか分からず悩んでいました。
そんな時にファックリで出会った新しい友人から、最近下北沢の古着屋がサービスシュー
ズのデッドストックを入荷したらしいという話を聞き見にいってみようと決めました。残
りが少ないとのことだったので話を聞いた翌日、大学の授業が終わってから急いで教えて
もらったお店に向かいました。
お店に入って店員さん聞いてみるとあと一足だけあるとのことですぐに試し履きさせていただくと、サイズもピッタリ。80年代のデッドストックで普段履きにも合ってるらしいの
ですぐに購入を決めました。店員さんのお話を聞くと、どうやら80年代以降のものはラ
バーソールを採用しているため、より普段使いには向いているようです。もちろん上級者
になれば60年代等のレザーソールも楽しむことができるらしいですがサービスシューズ初心者の僕にはまだまだ早い。。
購入した翌日、ワクワクしながら履いて学校へ向かうと普段の通学路も心が踊りました。
海軍という響きがなんだかカッコいいし、高校時代靴が自由だった僕にとっては初めての
既製靴。気持ちが引き締まり、猫背の僕でも背筋が伸びる気がしました。デッドストック
であったためまだカチコチで
1日履き終わってみると靴擦れだらけ(笑)徐々に自分の足
に馴染んでくるのを楽しみながら大事に履いていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
私が憧れるもの
2019.10.20 AI YAMAZUMI by Keio Fashion Creator
CHANEL, LOUIS VUITTON, Dior, GUCCI…
憧れのブランドは?と聞かれたら私はすぐにこれらのブランドを挙げる。物心ついた時からずっと憧れているのがいわゆる「ハイブランド」と言われるものだ。きっかけは何だったのだろう。
最も大きかったのは母からの影響だと思う。私の母は手芸が好きで、彼女の部屋は常にビーズやカラフルな布であふれていた。アクセサリーを作っている母の近くに行くと、そのビーズはどこの国から来たものなのか、この布はどこのブランドのものなのか、興味深い話を沢山聞かせてくれた。
それがファッションの世界に興味を持つきっかけだったと思う。
どうしてこんなに惹きつけられるのだろう、と不思議になる。デパートに行きウィンドウに飾られた新作のコレクションを見た時はもちろん、スマホでHPをチェックしているときもTVからCMが流れてきたときも、自分でも驚くほど気持ちが昂ぶり、時に泣きそうになる。
ハイブランドに魅力を感じない、という人も沢山いるだろう。世間には安くてデザイン性の高いアイテムが溢れていて、必ずしも高いお金を払ってブランド品を買う必要なんてないのだから。
一般人の私はCHANELの服もLOUIS
VUITTONの鞄もDiorの靴も高くて買う事なんて出来ない。
そして何よりそれらを身につけても恥ずかしくないような女性になれていない。ローコストで品質の高い服が出回る現代でもハイブランドの服や鞄が支持を得ている一つの理由は、それを身につける事で〈自分は品格のある大人な女性だ〉と周りに示せるからだと思う。それは長年の歴史を持つブランドだからこそ持つ最高の権威だ。
5年後の自分が何をしているか
今の私には想像がつかないけれど、ただ一つ確信しているのはファッションに関わる仕事をしているだろうということだ。そしてその時の私がブランドものに恥じないくらい上品な女性になっていてほしいと強く願う。
文学の中のファッション⑴ 『ノルウェイの森』
2018 Mariko Minagawa by Keio Fashion Creator
本の世界にいるのがとても好きだ。文章を想像して、頭の中で場面を描く。自分はそこにいないのに時間や空間を超えた体験ができるような錯覚に陥る。自分が主人公でいるような気になることもあれば、場面を傍観者の視点で見ていることもある。だが、そうして読者が描く本の中の世界で、「服」がどんな意味を持っているのか、考えたことはあるだろうか。
着ているものは登場人物の人格形成の一端を担っているように思える。著者の意図は必ずあり、読者に与える影響も計算されているはずだ。そこで、今回は村上春樹の『ノルウェイの森』をモチーフにブログを書いていきたい。あくまで個人の感想だが、村上春樹の作品は描写が遠回しなようで写実的で、知らない場所でもまるで知っているみたいに、まざまざと目の前に光景が浮かぶ。その生々しさが選んだ理由だ。ベタすぎるかもしれないが、今回はご容赦願いたい。また、ところどころネタバレになってしまう点があるので、これから読みたい方は注意していただきたいと思う。
手始めに、ひとまず上巻を一通りさらってみた。私の中では10回は服装についての記述があるような気がしていたが、見落としで多少増えるとしても6箇所か7箇所に過ぎなかった。今回はその中からいくつかを選んでご紹介する。
1. 「日差しはもう初夏のものだった。すれ違う人々はセーターや上着を脱いで、肩にかけたり腕にかかえたりしていた。日曜日の午後のあたたかい日差しの下では、誰もがみんな幸せそうに見えた。土手の向うに見えるテニス・コートでは若い男がシャツを脱いでショート・パンツ一枚になってラケットを振っていた。並んでベンチに座った二人の修道女だけがきちんと冬の制服を身にまとっていて、彼女たちのまわりにだけは夏の光もまだ届いていないように思えるのだが、それでも二人は満ち足りた顔つきで日なたでの会話を楽しんでいた。
十五分も歩くと背中に汗がにじんできたので、僕は厚い木綿のシャツを脱いでTシャツ一枚になった。彼女は淡いグレーのトレーナー・シャツの袖を肘の上までたくしあげていた。ずっと前にそれと同じシャツを彼女が着ているのを見たことがあるような気がしたが、はっきりとした記憶があるわけではない。ただそんな気がしただけだった。直子について当時僕はそれほど多くのことを覚えていたわけではなかった」(『ノルウェイの森』 上巻 p 39)
主人公・ワタナベが大学に入ったばかりの18歳の春を描いた一場面である。私が思うワタナベという人間は、ある種の社会全体に対する冷めた目を持つ、自我のはっきりした青年である。それでいて自殺した親友の恋人だったヒロイン・直子に対しては常にあたたかい。どんな形であれ好意を持った人間に対しての彼のあたたかさは、全編を通して変わることがないように思う。繊細で危うい、美しい女性である直子に対しては、彼の恋心もあいまってか一層の優しさが垣間見える。
この場面は段落に分かれている部分を軸に、小さな対比がなされているように思う。はじめに描かれるのは冬から春になり、夏が近づく初夏の日曜日にすれ違う人々の幸せそうな姿だ。服を脱ぎ捨ててスポーツを楽しむ若者も、夏に似つかない暑苦しそうな修道着を着ているシスターも、皆が思い思いに幸せそうに見えている。ワタナベも好意を寄せる直子と二人きりで歩いているのだから、幸せでもおかしくはない。しかしこの場面では幸福を予感させるワタナベ自身の記述はない。むしろあたたかい日差しのなかにあるのにそれを掴めない、どうしても光が作りだす影の方に近づいていってしまう直子の悲劇性と、決して一筋縄ではいかない彼らの恋愛の結末を予感させるような空間があるように思える。ぬくもりと幸福から自ら距離を置こうとするように、ワタナベが服を脱ぐ動作はあくまで事務的で、必要に応じたものに過ぎない。直子がグレーのトレーナーを肘までたくし上げていて、そのトレーナーを見たことがあるような気がすると言いつつ、それが似合っているか、それを着ている彼女が美しいかどうかには触れることなく、記憶を確かめようともしないのである。どこかよそよそしさを感じる表現であり、外界の幸せに馴染めない自分たちの姿を皮肉も込めて描写しているようにも感じる。
2.「そのうちに僕は女の子の一人が僕の方をちらちらと見ているのに気がついた。ひどく髪の短かい女の子で、濃いサングラスをかけ、白いコットンのミニワンピースを着ていた。彼女の顔には見覚えがなかったので僕がそのまま食事を続けていると、そのうちに彼女はすっと立ち上がって僕の方にやってきた。そしてテーブルの端に片手をついて僕の名前を呼んだ」(p104-105)
「 『緑色は好き?』
『どうして?』
『緑色のポロシャツをあなたが着てるからよ。だから緑色は好きなのかって訊いてるの』
『特に好きなわけじゃない。なんだっていいんだよ』
『<特に好きなわけじゃない。なんだっていいんだよ>』と彼女はまたくりかえした。
『私、あなたのしゃべり方すごく好きよ。きれいに壁土を塗ってるみたいで。これまでにそう言われたことある、他の人から?』
ない、と僕は答えた。
『私ね、ミドリっていう名前なの。それなのに全然緑色が似合わないの。変でしょ。そんなのひどいと思わない?まるで呪われた人生じゃない。これじゃ。ねえ、私のお姉さん桃子っていうのよ。おかしくない?』
『それでお姉さんはピンク似合う?』
『それがものすごくよく似合うの。ピンクを着るために生まれてきたような人ね。ふん、まったく不公平なんだから』」 (p111-112)
これは物語のもう一人のヒロイン・緑とワタナベが出会うシーンである。二人のヒロインを比べたとき、直子が「静」だとしたら緑は「動」だ。儚げでつかみどころがないようにも思える直子に対し、緑はとにかく実直で止まることを知らない。いつもまっすぐで、快活で、それでも根はとてもあたたかい女の子だ。
緑に対する描写は彼女の個性が最前面に押し出されている。髪の短さ、室内でも外されないサングラス、白のミニワンピ。全てが彼女を飾る装置のようで、それを嫌味なく着こなしてしまう。彼女の大胆さを裏打ちするような迷いのなさをファッションから感じられるように思う。ワタナベが彼女の個性に対して悪い印象を持たなかったであろうことも、少々派手だが興味を持たずにはいられないような緑の登場シーンから想像できる。
また、緑色が似合わないと緑が嘆くシーンも印象深かった。名前はその人物のイメージの一部であり、実物を目で見ることができない分、文章では色彩が印象を作る部分があるように思う。ワタナベが着ている服の色を見て突然、緑色が好きかと質問する姿はやはり多少破天荒なのだが憎めない。色を名前の一部に持つ人物は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でもおなじみだが、緑自身が緑色は似合わないと言っているのに反して、私はどうしても物語の中でこの女の子には緑色の服を着せたくなる。彼女は明るくてはっきりした性格をしているし、ありふれた人間ではない。テーマカラーとして緑色はふさわしいように思えるのだ。緑色が似合わない緑、というのが想像しがたい。あえて似合わないという設定にしたのは、自分をはっきり持っている緑でも家族の問題やワタナベへの恋心によってその自分らしさを時々見失い、自分の殻に閉じこもってふらついてしまう弱さを描きたかったのかもしれない。思い通りには物事は進まず、人が見ている自分自身の姿は本物とは乖離していることもあることの暗示にも見える。
3.「髪はひどく雑然とカットされて、ところどころ立ちあがってとびだし、前髪も不揃いに額に落ちかかっていたが、その髪型は彼女にとてもよく似合っていた。白いTシャツの上にブルーのワークシャツを着て、クリーム色のたっぷりとした綿のズボンにテニス・シューズをはいていた。ひょろりと痩せて乳房というものが殆んどなく、しょっちゅう皮肉っぽく唇が片方に曲がり、目のわきのしわが細かく動いた。いくらか世をすねたところのある親切で腕の良い女大工みたいに見えた」(p194-195)
この場面は、精神を病んで療養所での生活を送る直子のもとをワタナベが訪ねていくシーンだ。直子の世話をしながら一緒に暮らす、レイコさんという女性に出会う場面である。レイコさん自身も苦しい過去を抱えているのだが、それを感じさせないくらい彼女はテキパキとしてよく冗談を言い、良き友人として明るく直子を支えている。
読者がこのシーンのレイコさんから受けるのはボーイッシュな印象だろう。短い髪、ワークシャツにだぼっとしたズボンという格好。女性らしさは排除されていると言ってもいい。療養所で行われる作業がしやすいように、という動機もあるだろうが、作者の意図としてレイコさんの過去との隔絶がファッションにもリンクしているようにも思う。幸せな家庭を築いていたレイコさんが、家族と別れて療養所に来なければいけなくなった理由は下巻で語られるのだが、その事件によってレイコさんはある種の女性であることに対する呪縛のようなものを感じざるを得なくなったのではないか、と思うのだ。そこから自分を解放する意味でのファッションとも捉えられると思う。もっともそれを排除してなお美しい女性として描かれているのがレイコさんであり、本当はそこまで強くないはずの彼女が強くいられるのは彼女の過去があるからでもあると思うのだが。
ここまで三ヶ所の服装に関する記述がある部分を取り上げてきたが、個人的には登場人物のファッションに対してこれまで自分があまり注意を向けてこなかったことに気づいた。改めて抜き出して頭の中で想像してみると、ぼんやりとした登場人物たちに輪郭が生じるように思う。例えば、直子の服はいつも淡い。服にフォーカスがいくというよりは直子自身の美しさ、儚さのようなものを読者は想像することになる。ワタナベにとっては彼女が過去の記憶の中でしか会えない人物として語られていることも、直子の印象を色彩の薄い崇高なものへと昇華している一つの要因だろう。逆に緑は色が濃い登場人物だ。緑という名前ももちろん、白いワンピースに黒いサングラス、というようにはっきりとした対比を持たせている。『ノルウェイの森』の舞台は1960年代後半であり、学生運動が盛んな様子も文中に出てくる。60年代といえばミニスカートの大流行とカラフルでポップなファッションが思い起こされるが、後半には反動からマキシ丈が流行した。ただ小説の中で描かれる大学生はそこまでファッションを気にする様子はない。ワタナベというファッションにはあまり興味がないであろう男性が物語の語り手であることも一つの要因だろうが、『ノルウェイの森』は特に、ワタナベがビートルズの「ノルウェイの森」を偶然耳にしたことから回想を始めるという最初のシーンからもわかるように、タイトルも含めどちらかというと音楽が重視されているとも言える(本作だけでなく、村上作品は音楽をモチーフにしているものが多い)。音楽が物語全体の雰囲気を決めていると言っても過言ではないが、逆に服や色彩はそれを増長させ、輪郭を描く助けをしてくれる。登場人物の人柄や抱えている過去、場面の伏線に呼応している部分も多いのではないかと今回調べていて思った次第である。
もう一つ考えてみていただきたいことがある。記憶の中のある場面を想像したとき、私たちは果たして、自分や自分と関わった人たちの服装をどのくらい覚えているのだろうか。今回服装の描写を追っている中で、私自身が記憶の中で「覚えている」と思っている服装は、その大半が写真などを見ることで「覚えている気になっている」記憶にすぎないことに気がついた。自分自身がその日何十分とかけて選んだであろう服も、思い出の中にある誰かの服も、もしかしたらきちんと記憶しているものは本当に少ないのかもしれない。だが今のように気軽に写真が撮れなかった時代、人々はもっと必死で、二度と戻ってこないその時の情景を覚えていようとしたのではないか-そう考えると、たとえばワタナベが直子を懐かしみ記憶の中で出会おうとするとき、彼女のいる風景の一部としての「服装」に込められた、どんなにかすかなものでも憶えていたいと想いのようなものがあるように思えてくる。服装は人の一番近くで、時にはその人の一部になって存在しているものだ。時代、人柄、過去を全て抱えて、二度と戻れないその日の光景を自分の一部として共有しているとも言えるだろう。忘れたくない瞬間に出会ったとき、私たちを取り巻く人々は、そして私たち自身は何を身に纏っているのだろうか。大切な日はもちろん、なんでもない日に着る服も、その瞬間に出会うかもしれない。そう思うとなぜかすごく不思議で、楽しい予感が芽生えてはこないだろうか?
参考『ノルウェイの森』上巻(講談社文庫)村上春樹 講談社 2004年
デザイナーインタビュー〜鈴木新〜
2018 Arata Suzuki by Keio Fashion Creator
Keio Fashion
Creatorでは現在デザイナー及びディレクターチーフを務める。
先日のデニムアクトナイトで出展した作品は他の学生団体デザイナーや服飾専門学校生を抑えChristian
DADA賞・グランプリをW受賞。さらに大学での建築においてもその力を遺憾なく発揮し、コンテストでは1位を連発。
今回は、ファッション・建築の両方で業界から才能を認められ、多方面からラブコールを受けるまさにKeio
Fashion
Creatorきってのブライテストホープである彼にインタビューを敢行。
同団体で彼自身による最後となるショーを前に、彼のデザイナーとしての経歴や、自身の価値観について話を聞いた。
服に興味を持ったきっかけは?
「最初に服に対して特別な感情を抱いたのは、中一のときかな。親父が靴関係の仕事をしていて、一緒にアメ横に行ったのがきっかけ。親父に連れられてアメリカンデニムの店に入って、今も通ってる中田商店などに行った。そこから服って面白そうだなと思うようになって。Leeが好きなのも親父の影響。親父は元々Levi’s派だったらしいんだけど、Lee派に転身したんだよね。そのころはコレクションというより普段着る服としてミリタリーが好きだった。そこから高校に入ってから服好きな友人と出会い、彼に出会ってリアルクローズの視点からアートな一面を持つファッションに興味が湧いてきて。大学に入ったらそこに関わりたいと思っていた。」
高校の時のファッションに対する価値観からの変化はどんな感じ?
「その頃からコレクションとか見始めて、ショーというものを通じてアートインスタレーション的なことをしているという認識がそれまではなかったから、それをみてから服に対する見方が変わったかな。」
そこからKeio Fashion
Creatorを知って入ろうと思った?
「高校が大学の附属校で、建築学科に行きたいということはすでに決めていた。物を作るのが好きで、その一環として洋服も作りたいと思っていた。新歓の時期にそういうサークルを探していたら、合同説明会がヒットして、その時に前で話していた檀君※とふみかさんがかっこいいし可愛いし、このサークルイケてるなと思って入った感じ。」※島田檀−当団体卒業デザイナー。自身のシグネーチャーブランド「DAN」のデザイナーを務める。ワークやミリタリーなどからインスピレーションを得たディテールをパターン、カッティングによって落とし込み、実用性というものを改めて見直した都会的なピースを提案。
Keio Fashion Creatorを選んだ理由は?
「ESMODで授業を受けながら服作りを学べるという要素が大きかった。本格的に学べるのはここしかないからね。」
Keio Fashion
Creatorに一年の時から入って、中心的な存在になる今に至るまでに変わったことは?
「最初の一年は、申し訳ないけど、洋服を作る知識を得たくて入ったから最初の年度でパンツ・トップス両方作ってある程度の作り方はわかったから、やめてもいいかなと思っていた。でも、実際にショーをやってみて、洋服だけでなくショー全体としてクオリティが高くて、その時高校時代の自分を魅了してきた芸術的側面をもったファッションというものを再び考えるようになった。そこで、2年、3年で自分のものづくりを服だけでなくショー全体として表現していこうと意識が変わり始め、気づいたら3年生だった、という感じかな。」
それに伴うESMODでの授業の受けかたに変化は?
「一年の時は作っていた服を服という型にはめようとしていたから、自分のやりたいことを表現するというより、服を作るということを前提にしてどんなことができるかを考えていた。リアルクローズとまではいかないけれど、普段着として着られるような服というものをベースに考えていたね。ショーの経験をしてからは、自分が持っているもののアウトプットの一つとして服が使えるのではないかと思い始め、服作りが目的から手段に変わって行った。」
自分の中での建築とファッションの関わりは?
「自分の親はいい意味でも悪い意味でも厳しくなく、やりたいことがなかったら高校もいかなくていいと言われていたんだよね。でも流石に高校にいかないのはまずいなと感覚的に思っていた。だから、高校に行くためにやりたいことを見つけなければならなかった。だから、自分にとって高校受験はある意味自分の人生を決めることと同義だったんだよね。だから、中学生の時は受験のための勉強ばかりしていた。でも音楽は好きだったからバンドはやっていた。その2つに没頭していたね。そこで、やりたいことを考えた時、ものを作るのが好きだというバックボーンを生かして、社会に対して新しいソリューションを打ち出すようなことがしたかった。そこで親から建築とかいいんじゃないかと持ちかけられ、初めて建築という分野の選択ができた。建物を建てたいとか、住宅を作りたいという考えで建築を選んだというよりは、一番クリエイティブなことができる学問として建築を選んだ。建築というのは、建築を勉強している人からすると総合芸術と言われていて、絵画や彫刻などの全ての芸術を統合したものが建築として現れてくるという考え方がされている。その一要素として、ファッションも捉えられるのではないかと考えているかな。とはいえ、建築で解決できる問題というのはほんの一握りだと最近は思っているんだよね。例えば問題に対して、300通りのソリューションがあるとしたら、建築にできるのはその半分以下しかない。芸術というのは直接的に問題を解決しなくても、間接的に人の意思を変えて問題が解決されるように影響させるのだけど、建築には社会性も求められるから、もっと直接的なあり方でなくてはならない。そうなってくると、問題に対して建築が最適な解とされるものはその中でも5通りから10通りくらいしかないわけよ。つまり、一つの建物を立てることによって他の299通りの解を遥かに凌駕しているように見せないといけないわけ。それが実際にはそうではないとしても。それは値段を見ても明らかで、服を一着作るのにかかるのは1万円くらいだとしたら、建物を作るのは1億かかる。だから、それが優れていると主張できなければならない。一方で、建物というデカいものを作らなくても、小さなアートピースを一つ展覧会で展示しただとかの方が問題を解決し得るかもしれない。そんな時、服をデザインするという手段で解決できることもあるのではないかと思っている。建築と服は独立して存在しているかもしれないけど、頭の中で、洋服で解決できることは洋服で、建築で解決しやすいことは建築で表現しているというのが、質問に対する明快な答えかな。」
意外とわかりやすく、フラットなところに戻りましたね。
「デザインの話でいうと、建築のデザインのソースなどを洋服に持ってくることは簡単だけど、俺はまだ洋服で学んだことを建築に昇華するということはなかなかできていない。それは建築に制約が多いから。建築として存在するための定義が多すぎるんだよね。それに対して洋服は「withヒト」で服って言えてしまう。例えば空き缶の一部を引きちぎってブレスレットにしても、それはファッションと言えてしまう。その意味で、ファッションというのは自由度が高いと言えるね。それはファッションの歴史の浅さからも言えること。まだやり尽くされていないことが多い。建築はもうほとんどやり尽くされている。」
巷で議論されている、服はもうアイデアが出切っているという意見に対しては?
「全然出し切ってはいないと思う。例えば、新しい技術が開発されれば新しい縫い方ができて、違う素材をつなぎ合わせられる。そうすれば、新しい形が生まれるからね。結局、クリエイションを根底で支えるのは技術だから、技術が新しくなれば圧倒的に新しいものが作りやすくなる。建築は技術が研究し尽くされている。建築は社会基盤になってしまったけど、服はまだ余暇だから、技術が追いつくのが遅い。最先端をいく宇宙開発/軍事技術などが今ちょうど建築界の末端まで落ちて来ているけど、それが将来的に洋服まで落ちてくれば、その先はどうなるかまだわからない。」
今の服作りにインスピレーションとして建築から生かされていることは?
「インスピレーションは建築とかではなく、あくまで自分の経験したことかな。自己体験の中でしかインスピレーションは受けられないから。」
近年の建築上がりのデザイナーも目立ってきている動きに対して、何か思うことは?
「建築家の社会的地位が下がってきているということがあるだろうね。19世紀に入るまでは、建築家は金持ちの息子しかできなかった。なぜかというと、建築は遊びだったから。昔の有名建築は全部、王様の家や教会ばかりだよね。だけど技術と知識が解放されて行くに連れて、住居や美術館などの大衆向けのものにも落ちていった。そうすると、お金があまり動かない。クライアントと建築家という関係の中で、貴族などの階級の高いクライアントがいなくなったから。そんないまの時代で誰がお金を持っているかというと、セレブな訳。セレブというのは、例えばハリウッドスターやミュージシャン。いわゆる芸能という立場の人たち。そうすると、昔の建築家に今一番似ているのは実はスポーツ選手やファッションデザイナーだったりする。ミケランジェロがフィレンツェからローマに行っただけで何億と動いている。それと、メッシが3歩進んでシュートを打つというのは同じ。彼らは自分のしていることに自分で価値をつけている。今の建築家の設計料は建設にかかる総経費の何割かが入ってくるという方式で、自分のデザインに対して報酬はつけられない。その意味で、ファッションデザイナーがスポーツ選手に似ているんじゃないかな、と。クライアントがセレブであり、自分で自分のしたことの価格を決めているわけだから。だから、昔の王様というのが今で言うレディー・ガガやカニエ・ウエストなわけよ。彼らがGUCCIやDiorに衣装を依頼して、大金が動く。スポーツもセレブを楽しませるための娯楽であるわけだから。俺の師の一人は、松岡修造みたいな人間は昔だったら建築家をやっていただろうと冗談交じりで言っていた。ファッションデザイナーやスポーツ選手になるためにはかなりのお金がかかる訳で、それに比べれば大学で建築を学ぶことはまだ安い。ヒエラルキー的にファッションデザイナーやスポーツ選手の次にくるのが建築家ということになってしまっているんだろうね。だから、一部の建築家はある程度、ファッションデザイナーに対する憧れみたいなものがあるんじゃないかな。」
なるほど。影響を受けているファッションデザイナーなどは?
「Rick
Owensかな。でも影響を受けているというより、彼のクリエイションの姿勢を尊敬している。自分のクリエイションは自分の経験からしか出てこないわけで、他人の経験から影響をそのまま受けてはならないと思ってる。その中で、彼は服を作る上で洋服の型にはめるのではなく、やりたいことを表現するツールとして洋服を最大限利用している。そうなった時に誰も見たことがないものを作れるのが彼なわけよ。最近のも勿論だけど、初期はもう唖然って感じだった。マルジェラやラフも凄いけど、彼らが評価されるのは洋服というものを使いながら既視感のないものを作り続けたから。それに対してRickは、これ洋服じゃ無いんじゃないの?みたいな。洋服の定義をもう一度僕らに考えさせたのがRickだと思う。だから、みんなすごいんだけど、建築を学びながら服を作っている自分としては、Rickがやっぱりすげえなって思う。特にRickは総合芸術としてファッションを捉えている感がするんだよね。
ファストファッションの台頭などによりアートとしてのファッションという見方が薄れてきているように感じます。それについては?
「順調だと思うよ。長い歴史でみれば。今のような形でショーが始まったのが50年とか60年代なわけで、そこからまだ半世紀くらいしか経ってない。ルイ・ヴィトンとかの台頭で高級品的なファッションが大衆に開かれてからも約1世紀しか経ってないわけ。そう考えると、ものすごいスピード感で進んでるよね。他の芸術にはスタイルがあるから、主流が入れ替わるのに少なくとも100年はかかる。だから、いまの流れも順調だと思う。それこそ、50年後くらいには60年代のサン・ローランとかが社会的なコンテクストを持って評価される時代がくるとおもう。歴史の引用みたいな。」
今年のショーに向けて一言お願いします。
「精一杯頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。(笑)」
ファッション史にみる女性解放問題
2018 Mariko Minagawa by Keio Fashion Creator
私たちは毎日当たり前のように服を着る。なんのために服を着るかと深く考える機会はそう多くない。服は巷に溢れていて、私たちは当然のようにそれらを買い、当然のように身につける。その動作は自然で、朝起きて服を着ることに疑いを抱く時間などない。社会的にも服を着ることは当然のモラルであり、ファッションは多くの人の楽しみであり、トレンドは絶えず移り変わるということは半ば当たり前になっている現代。だがその当たり前は果たして当たり前のことであったのか、と考えさせられる記事を目にした。
6月に韓国のフェミニスト団体がFacebook(以下FB)韓国本社前で抗議運動を行った。このフェミニスト団体Fire
Femi
ActionがFBに投稿した記事の中にあった女性のヌード写真をFB側が不適切だとして削除したことに対する抗議運動だったのだが、彼女たちのとった行動は波紋を呼んだ。彼女たちの主張は、「男性がシャツを着ないでバスケやサッカーをしていることは普通に受け入れられているのに、女性が服を脱ぐときにはいつでもセクシーでなければならないし、同時に貞操も要求されるのはおかしい」というもので、それを主張するために団体メンバーの女性たちは上半身に服を着ずにソウルにあるFacebook
KOREAの本社前で抗議運動を行うという行動に出たのだ。この抗議運動自体はかなり批判を浴びたが、結局FB側は謝罪し、写真の削除などの制裁を取り消した。
このニュースは元々男女平等を訴えるはずのフェミニズムのあり方が国や時代によって少しずつ変化している、というジェンダーへのメッセージとしてのみ捉えることも可能だ。実際欧米では服を脱いで行うデモは頻繁に起きているが、隣国で、しかも儒教の教えがいまだに色濃く残っている韓国でこうしたデモが起きているということは少なからず衝撃だった。そして同時に、この団体の女性たちにとっての「服」は、社会の暗黙の了解のもとに成り立つ足枷だったように私には思えた。だからこそ彼女たちは社会のモラルに反してでも大衆の面前で服を脱ぎ、所詮そこにはなんの意味もないのだと主張したように感じられたのだ。同じ女性として思わずそんな考えが浮かんだとき、私たちにとって服とはなんなのか、と自問せざるを得なかった。服の下にあるジェンダーを隠すために私たちは服を着ているのだろうか?それが第一義的な意味だと考えた時、ファッションはあくまで二次的な産物にすぎないのだろうか?
こうして生まれた疑問に対して私の頭に浮かんだのは、今や女性らしいファッションの代表となっているミニスカートの存在だ。ミニスカートがファッションの世界に出てきたのは1950年代、第二次世界大戦が終わってからのことで、そう昔のことではない。もっと昔に遡って女性の開放に伴うファッションの変化を見ていくと、第一次世界大戦が女性に社会に出て働くという土台を与えた、ということに行き着く。20世紀に入る前までの女性たちはきついコルセットに重い帽子をかぶり、実用性とは甚だ遠い世界に生きていた。しかし大戦時の人手不足に伴い「労働」が女性の役割として加わったとき、女性のファッションは変わっていく。ここで大きな役割を果たしたのがココ・シャネルだ。1913年に洋服のブティックを開店したシャネルは、シンプルかつ実用的な洋服で人気を博した。同時に彼女は経済的自立も図り、自立した女性としての地位を確立した。「働く女性」の最初の典型と言ってもいいかもしれない。その後、第二次世界大戦を経て、女性たちは60年代から70年代にかけてウーマン・リブ運動を展開する。女性解放をうたったこの運動とほぼ同時並行して起きたのが、ファッション業界における解放である。それまでのオートクチュールが前提としていた「成熟した女らしさ」に反抗して、50年代後半からロンドンを中心にミニスカートが流行し始める。1961年にマリークワントがこれを商品したことがきっかけで爆発的にヒットし、クレージュは1965年にオートクチュールでミニスカートを取り入れたスタイルを提案した。この時代を象徴するモデルのツイッギーはミニスカートを履いてファッションアイコンとなり、世界的に流行する。つまり、現代における位置づけである「女性らしさ」を否定してミニスカートは生まれた。「女性は慎ましく肌を隠すべきだ」という従来の固定観念への反抗―こう考えるとミニスカートの誕生には前述したフェミニズム運動とのつながりを感じるのである。今回リサーチをしていて、韓国での抗議運動について書いた日本の記事があまりにも無いことに驚いた。まだ日本の中にはそうした動きに対する土台も理解もないように思える。かつてミニスカートが従来の貞操観念を大切にする人々からの批判を浴びたように、新しい動きに批判はつきものだ。全て受容する必要があるとは思わないが、社会への問題提起に対して柔軟でいることはこれからますます求められていくと考える。
60年代からはすでに半世紀以上の時が経ち、女性の社会における役割も大きく変化してきた。だが「肌を見せる」ということを一つの女性解放の在り方として認識したとき、私たちが毎日服を選び、当たり前のように身につけるという普遍性が少しずつ揺らぐように思われる。今回は女性の解放にフォーカスしたが、男性にとってのファッションが持つ社会的意味の変遷についても興味深い歴史があるはずだ。ファッション、ジェンダー、そしてその社会性―21世紀の今だからこそ見えてくるそのつながりを感じたとき、私たちは果たして何を着て、何をして生きて行くのだろうか?
Written by 源川まり子
参考にしたページ
http://www.asiaone.com/asia/facebook-korea-apologises-after-feminist-activists-protest-topless
https://facy.jp/articles/2614
https://facy.jp/articles/2628
https://facy.jp/articles/2668
僕の服を買う基準
2018 Ryusuke Tanamura by Keio Fashion Creator
今回は僕の買う服の基準について書こうと思います!
まずは僕の紹介から。
名前:店村龍祐(タナムラリュウスケ)
生年月日:2000.02.04
出身:山口県
Instagram:@2_ryyyu_4
そもそも僕が服を好きになったのは高校2年生の冬。自分はバスケットボールをやっていて、そこで出会った友達がファッションが好きでカッコよく、魅力的に感じ、そこから僕のファッションライフが始まりました。当時はあまり趣味もなく、山口という超田舎な環境だったため、貯金とお小遣い、お年玉、親から貰った塾の軽食代までのほぼ全てを服に費やしてました(笑)また、買った服をメルカリで販売して、そこで得たお金で新しい物を買う。その繰り返しでしたね。そんな感じで今も月の収入の7割は服に飛びます。当時メンズノンノやメンズファッジが僕の教科書で、買う服もその二つのジャンルに寄せたカジュアル、綺麗目の服を着ていました。マーチンの3ホールにYAECAのスラックスをロールアップして白ソックスを見せて、上はMAISON
KITSUNEのポロシャツが高2の僕の最強のお洒落でした。正直今の僕のファッションからはかけ離れています。しかし、そこから部活を引退して受験期になると自分の時間が増えInstagramをディグるようになりました。そこから僕は国内外のストリートやモードなブランドが好きになります。(Gosharubchinskiy、MISBHV、ami、JOHN
LAWRENCE SULLIVAN、NEONSIGN、FACETASM、jiedaなど)
ただジャンルの変化はありましたが、古着はずっと好きでした。受験期は市内のショップ(5店舗)を1日で回るということを週に2回はしていました。そこで店の店員さんと色々話す時間がとても楽しかったです。そんなこんなで、ショップも少なく、ファッションに興味のある人はほぼ皆無だった山口でも、僕自身のファッションへの熱は冷めることは一度もありませんでした。
前置きがかなり長くなりましたが、本題の僕の買う服の基準を書きたいと思います。
それはぶっちゃけ、きっちりしたものはないです!(笑)ただ格好いいと思ったものを買う。それだけ!長く着れるとかも考えません。本当にその日、その時の気分なんです。だから僕のファッションにはジャンルが存在しないと思っているし、流行りのファッション!って感じでもないんだと思います。良いと思ったら値段もあまり気にしません。我慢もなるべくしないようにしています。多分服を買うことを我慢することが、自分にとって何よりのストレスになっちゃいます。好きなブランドは一応ありますが、カッコイイと思ったアイテムがたまたまそのブランドだったというだけで「このブランドだから買う!」みたいなのはないですね。だから「好きなブランドは?」と聞かれるとかなり困っちゃうんです。ファッションが好きな人達の多くがInstagramやWEARなどのツールを利用しているせいか、ビッグネームのコラボだったり、ブランドロゴで買い物をしている人が多いように思います。なんかかなりダサくないですか?(笑)だから僕はGosharubchinskiyがかなり流行っている時も、あえてロゴが見えず、パッと見分からないようなアイテムを着ているし、GUCCIのダッドスニーカーもロゴ入りのやつではなく、汚い、とてもラグジュアリーブランドのスニーカーとは思えないものを履いたりしています。
以上が僕の服を買う基準です。色々書きましたが、これからも沢山服を買って、充実したファッションライフを送りたいです。
なぜ服を着るのか
2018 Yohei Okamura by Keio Fashion Creator
人はなぜ服を着るのか?考えたことはあるだろうか?ちなみに今回このブログを書くまで自分は真剣に考えたことはなかった気がする。着るのだから着る。いいと思うから着る。かっこよく、自分が等身大よりよく見えるために着る。きっと理由は様々だ。正直な答えは、きっと、「そんなの知ったことか!」というものかもしれない。そもそも生きること自体が無意味と仮定した時に、それに付随する行為に対して意味を求めること自体がナンセンスと思われるかもしれない。これは一、服がそこそこ好きな大学生が「自分はなんで服を着るのか」と考えて思った意見、軽い読み物として見ていただきたい。また、このブログは鷲田清一氏の『人はなぜ服を着るのか』とは無関係です。
なぜ自分は服に興味を持ったのだろう。そもそも、自分の土壌は音楽だし、高校の時なんて制服で基本過ごしていた人間だ。音楽が一番で、次に友達、そして遊び。服はお金がかかるし”着る物”程度にしか考えていなかった時代もあった。その時と今とで、”服を着る”というただの行為に対してどのような心境の変化が訪れたのか?それは自己のアイデンティティと、今までの自分に対するアンチテーゼ、そして理想がキーワードになってくる気がする。自分が服に興味があまりなかった小学生の頃、アイデンティティは確立されていなく、理想がなかった。だから、毎日を一生懸命に生きて、その日駄菓子を買うお金さえあればよかった。外で遊び、泥だらけになって、そこに服という物は身を守る、大事なところを隠す作用があればよかったのだ。しかし中学生になり、少しずつ羞恥の心、また、憧れなどが生まれる。そうすると、やはりなりたい自分に表面的になれるわかりやすい形のオシャレや、音楽、アウトローには興味を持ち始めるものだ。それは表面的な憧憬だけではなく、自己に対するアンチテーゼ、アイデンティティの確立の狭間で揺れ、どうしようもない自分を表に出すためにもがき苦しんでる姿でもあるのだと思う。そして、高校生になり、アイデンティティがある程度確立されてくると今度は憧れが強くなる。自分はこうなりたい、こうなるためにはこのチームにいる人たちはこの格好をしてるから自分もそうしよう。そして色々試行錯誤を繰り返しながらもその形に落ち着いていく。だから、自分が思うにこの時期になって初めてファッションに興味を持つ人が多いのもそのせいだと思う。ファッションを通して憧憬とアンチテーゼを表明しようとある一定の明確な形になるのがこの頃ではないかと仮定したときであるが、、、
その一定の割合は証明されてるわけでもなく個人的に思うことなので流してほしい。
ここまではマクロ的な視点で、自分はなぜ服を着るようになるのかを語ったが、これからは、ミクロ的な視点で語りたいと思う。以上のことに付随して触れたいのが、服そのものについてである。自分はそこそこの服好きという通り、まだまだ知識は浅い。その中で思うことを後半でまとめたいと思う。そもそも服は、身を守るためのものであったが、そこから宗教的な意味合いや、ステータスを誇示するものなど、服に対して意味合いが生まれて来た。13世紀頃まで男女の性差がほとんどないワンピースのような宗教服だったのが、コタルディーやプールポアンが生まれ性差というのが出来た。その後、ボタンの数でその人の地位が分かるミリタリーの先駆けなど生まれた。つまり、服にはその人を決定する作用がある。19cのイギリスで、プリンスオブウェールズのテーラードジャケットを着ていたらある程度の社会的地位があると思うし、一方で20c初頭にLevisをはいていたら労働階級ということが分かる、現在では、スーツを着てればサラリーマンだし、作業着を着ていたら工場で働いてるのかなという予想はつく。つまり、その人の意思決定とは裏腹に、服はその人を表してしまうのである。ある意味、大人になることで服に矛盾が生じるのだ。若い頃は憧憬していた服が、大人になって憧れを無視して、その人を決定してしまう作用があるのだ。つまりは着る服がその人の嗜好性を決定し、ある程度その一日を規定してしまうのではないだろうか?自分はこの団体に属しているという意思表示を服で行い、その中でその日の憧憬、今日はこうしよう。今日はこうなりたい。こういう気分だ、といった具合に、朝手にとった服が1日を決め、その人の持ってる服、趣向性がその人の趣味の幅をある程度決定すると思う。
では、最後に自分はなぜ服を着るのだろう。根本的には上記の内容だ。しかし、自分にはアンチテーゼがまだどこかあるのかもしれない。お前はこうだからと言われると何故お前がそれを決める?お前は俺なのか?と思ってしまう幼い心があり、それに反発するような憧れを設定し今の自分にない自分を着飾るために服を着ている点もある。一方で、こういう風なスタイル単純にかっこいいなって思って着る時もある。こんだけ語っといてなんだが、やっぱり難しくて、自分にはまだわからないというのが答えかもしれない。その答えはないにしても近い形がわかるまで、自分は服を楽しみたいし、自分というものを形にしたい。そのために楽しんで服を着ていきたい。
by岡村陽平
“めんばーのふだんぎ。”
KEITA MATHUMOTO by Keio Fashion Creator
2018年7月15日、確か日曜日、夜8時。立教大学の服飾団体「FDL」のショー帰り。嫌な湿気が漂う熱帯夜であり、億劫な気分になる。気候は人々が着る服を選定する上で重要視される要素である。夏は特に私たちに対し着る服を制限してくるが、私たちはその時着たい服を着たい。そんなジレンマの中で偶発的に生まれたメンバーの普段着についてアポなしで尋ねてみた。
①店村龍祐
一人目はりゅうすけ。前日カラオケでオールをしていたらしく、その凛々しい顔には大きめのクマが出来ていた。しかし、服の話になると目つきが変わった。
トップスはアメリカのキャラクターのdoughboyがプリントされているTシャツ。襟元と袖部分のラインも可愛いと思い一目惚れして購入したそう。パンクなベルトと可愛らしいキャラクターが対比されている。
パンツは彼の行きつけの古着屋、bannyで購入したフレアのデニム。ボリュームスニーカーにかかる丈感と綺麗な色味が気分にマッチしたと語った。
足元にはGucciのレザースニーカー。上下古着で合わせ、足元でハイブランドのボリュームスニーカーで勝負をしている。厚く丸い野暮ったい形や、オフホワイトカラーのレザーに施された汚れ加工がラグジュアリー感を主張しすぎず古着との相性は抜群。
プリントTシャツとデニム、ダッドスニーカー。2018年らしいトレンドを押さえつつもTシャツのリブ周りやパンツのシルエットなど、風変わりなディテールの積み重ねで差別化を図っている。
②りんたろう
「ナチュラルな色遣いが好きなんですよね。」そう笑顔で話してくれたのは当団体の副代表であり、ムードメーカーでもある高身長イケメン、りんたろう。スナップを撮らせて欲しいとお願いすると気さくに対応してくれた。
買ったばかりのY.O.Nのタックが効いているワイドパンツを軸に、ミリタリー要素を拾いながらコーディネートを組んだという。胸元にぶら下がっているドッグタグからもその片鱗はうかがえる。
トップスのMM6のベストをうまく取り込んでいるが、それが彼女の私服を借りていることに驚いた。仲の睦まじさが垣間見えて来る。
レザーのブーツで合わせることが多いミリタリー風のコーディネートだが、この日はasicsの機能性スニーカー。型にとらわれず、夏を解釈している。
③ゆきちゃん
ファックリの美白担当のゆきちゃんはその美白さが際立つ黒を基調にしたコーディネート。
彼女は普段からメンズのアイテムを取り入れつつ女性らしさを無くさないスタイルを意識している。
パンツはヨーロッパのミリタリー系のヴィンテージを多く扱うショップ、「fifth
general store」で買ったUK
policeのパンツ。もともと警察のパンツで裾が広かったので、女性らしく着るために裾を細く加工したそう。自分のスタイルへのこだわりが見られる。
このマニッシュなパンツを袖のないガーリーなトップスとブーツで合わせ、煌びやかなピアスをつけることで、”強そうだけど、失われない女性らしさ”を演出している。
すべての人や生物は制約の中で自由を探求する。無意識で行なっている行動にもその現象は必ず見られ、それを顕在化した時に初めて偶然が必然であることに気がつく。無為だと決めつけていることにも一度焦点を当てることで、生活の自由度も広がりを見せるのではないだろうか。
Written by 出田陸
実店舗はショールームであるべきだ
2018 Ryubi Fukuda by Keio Fashion Creator
私はセレクトショップで店頭販売員として働いているが、その仕事は店頭での接客だけではない。店舗に在庫を常に抱えている為、そのしまい込みや店頭出しの作業、店舗間での商品の移動処理もする。レジも打たなければならないし、売上入力などの事務的な仕事も多い。
ECが発達し、販売経路が多様化した今日のアパレル業界。そこで私は、これから求められる実店舗の役割を「ショールーム」だと考える。ここでのショールームとは、服を魅せる環境のことを指す。店舗では服を売らず、客は実物を見ることや試着することだけを目的に訪れるのである。
客は気に入った服を各自オンラインで購入するので、店舗が在庫を抱える必要は無い。在庫を抱えていなければそれを管理する手間も省ける。店員は試着などのサポートをするだけなので、人件費もかなり削減できる。なんて合理的な販売形態だろうか。
またこの形態のメリットとして、客にかかる心的負荷を緩和できる点が挙げられる。既存の実店舗に足を運ぶと、大抵の店員は客に声をかける。これを業界ではアプローチと呼ぶが、これは多くの店舗では店員に義務化されていることだ。ただこの声掛けを嫌う客が多くいるのも事実である。長く店員と話してしまったり、試着をしてしまうと手ぶらでは帰りにくいといった経験をしたことは無いだろうか。ショールーム型店舗ではこういった状況は起こり得ない。
店員との会話、商品の試着は実際に店頭で行う(オフライン)が、購入はオンラインであるからだ。つまりショールーム型店舗とは、いわばオフラインとオンラインを繋ぐ販売形態である。
この記事を書くにあたり実際にそういった店舗はあるのかを調べてみたところ、
“ 「ユニクロ」の妹弟ブランドで和製ファストファッションとして知られる「GU」(ジーユー)が2018年11月、東京・原宿にショールーミングストア「GU STYLE STUDIO」をオープンする。”
という記事を見つけた。海外では既に導入されていたこの販売形態が、なんと日本でも本格的に導入されるそうだ。しかも若者に人気のファストファッション大手GUで。ぜひ11月のオープンを迎えたら見に行ってみたいと思う。
ネットワーク技術の発展が可能にした新しい販売形態、ショールーム型店舗。
既存の小売の無駄を徹底的に排除し、超効率化されたこの形態が当たり前となる日が来るのだろうか。
Written by 福田琉弥
参考
・『誰がアパレルを殺すのか』杉原淳一
・ジーユー/原宿に次世代型新店舗「GU STYLE STUDIO」、11月オープン 流通ニュース
衣替えの季節に考えること
2018 Mariko Minagawa by Keio Fashion Creator
今年もまた、衣替えの季節がやってきた。暑すぎる夏が終わり、やっと秋服が着られると意気込んでいたかと思えば、まるで冬がすぐそこにあるかのように冷たい空気に驚いてしまう。例年に比べて今年は特に、衣替えのタイミングには頭を悩ませることになりそうだ。
さて、衣替えに不可欠な作業として、着なくなった服の処分がある。常に飽和状態の箪笥に隙間を作るためには、気が重くてもとにかく断捨離は必要だ。今回は、家庭での処分というレベルから少し視野を広げ、アパレルでの売れ残りはどのような道をたどるのか、ということにフォーカスしてみたい。私はある化粧品会社でアルバイトをしているのだが、そこでの在庫処分の容赦なさへの衝撃が今回のテーマに繋がった。「滅却」と書かれたダンボールは常に何かが入っており、シーズンが終わったりデザインが少しでも変わったりした製品は、一つ何千円、何万円とするものでも滅却の対象になってしまう。まだ使える製品をどんどん捨てる、という作業には気が滅入りそうになり、服も同じ運命をたどっているのか、という疑問が生じた。環境への悪影響はもちろんだが、服を買いたくても買えない人が世界には未だ多くいることなども考えると、放置できる問題ではないように思えた。
実際に、アパレル業界での廃棄は年間100トンにものぼる。これはおよそ30億着、という膨大な量だ。なかなか想像がつかないが、背景としては安いコストで大量生産・大量消費を推進したため、需要と供給のバランスが量の面でも崩れ、大量廃棄を誘発したことがあげられる。また現在は商品サイクルが短期化し、めまぐるしく動くトレンドを先読みしながら生産することが求められる。需要が高まったときに品切れになるのを恐れた結果、余剰製品を多く生産してしまう、という現象も多く起きることになるのである。最近では、BURBERRY社が衣料品・化粧品など合計42億円分を焼却処分したとして批判を受けた。しかし、高級ブランドでは自社の商品価値を失わないためにもこうした処分はごく当たり前に行われている。
最近はこうしたアパレルの「影」とも言える在庫過多の現象をビジネスにする動きも出てきている。日本では在庫処分業者が存在し、年間200トンを超える洋服を受け入れている。原価を下回る値段で余った在庫を買い取り、ネットで格安で販売したり、リサイクルショップに卸したりして利益を得るという事業である。このビジネスにおいて必ず果たされなければならないのは、ブランドのタグを切って販売する、ということだ。どこの服か特定されないようにすることで、ブランド価値の低下を防いでいる。また、私たちに比較的身近な取り組みとして、UNIQLO RECYCLEは有名だろう。こちらはビジネスという枠から外れ、人道的支援ということでUNHCRと共同で行われているプロジェクトだ。2006年に始まったこの取り組みでは、当初は繊維の材料としての回収を目的としていたが、「服は服のまま役立てたい」という思いから、リユースとして世界中で服を必要としている人たちに届ける活動を始めたという。これまでに約6594万着を回収し、2558万着を寄贈した。全国の店舗で随時回収を受け付けているため、私たちにも馴染みが深いプロジェクトと言えるだろう。その一方で、これは流行の変化に比較的左右されない、シンプルで実用性を重視した服を低価格で提供しているUNIQLOだからこそできる取り組みであるとも言える。ハイブランドであればあるほど、その商品価値を維持することが重視されるため、このような活動を展開することは難しくなるという側面があるのが現状だ。
一筋縄ではいかない問題だが、最近では「在庫を作らない」メーカーも出てきている。試着はバーチャルで行い、注文を受けてから発注して生産するのだ。画期的な取り組みだが、受注してから注文者に届くまでに2週間前後の時間がかかることが課題となっている。店に足を運んだり、ネットのページにアクセスしたりしてその場で買うというスタイルが定着している今、時間の問題を解決することがこのシステムの普及の鍵になるだろう。
ここまで様々な取り組みを見てきたが、それでも世界規模でみれば未だ多くの「まだ着られる服」が捨てられている。箪笥の前に座って、まだ着られる服や誰かが着てくれる服はないか、もう一度見直してみるところから始めたい。自分の手元に来るまでには、服をデザインし、作り、売るという作業の中で多くの人が努力を重ねている。何を買い、何を着るか-大量消費の誘惑に呑まれることなく、服とファッションを再考する時間を持っていたいと強く思う。
Written by 源川まり子
参考
https://www.uniqlo.com/jp/sustainability/refugees/recycle//
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4182/index.html/
https://c-fine.jp/business//
http://jp.fashionnetwork.com/news/-バーバリー-売れ残り焼却処分問題-ファッション業界全体にも派生か,1000170.html#.W7HHGS_AP-Z/
スカジャンのすすめ
2018 by Kie Keio Fashion Creator
突然ですが、みなさん、「スカジャン」って着たことありますか?
きっとほとんどの方がご存知だとは思います。ですが、着たことある人やスカジャンを持っている人って、私の周りにはほとんどいません。「世代の違い」というのもあるのでしょうか。そんなスカジャンの魅力を今日はこの場をお借りして、私なりに紹介していきたいと思います。
まずは簡単にスカジャンの歴史から。
戦後、日本に滞在しているアメリカ兵向けのお土産としてスカジャンはうまれたとされています。アメリカのベースボールジャケットに日本風の刺繍を施し、販売したところ、これが人気に。特に横須賀米軍基地の兵士たちが好んで別注のスカジャンをオーダーしたことがきっかけで「スカジャン」と呼ばれるようになりました。
スカジャンと聞いて、イメージする柄といえば「虎」「龍」「鷹」でしょうか。
やはり、いかついイメージがあるのは否めませんが……。それだけでスカジャンを判断しないでほしい!
実際に見て、触ってみてください。注目してほしいのはスカジャンの肝となる「刺繍」です。スカジャンの刺繍方法は大きくわけて2つあります。
1つは職人の手で行う「手振り刺繍」。もう1つはプログラミングされたミシンで行う「ジャガード刺繍」です。「ジャガード刺繍」は大量生産を可能にしましたが、それよりも、前者の職人による刺繍が素晴らしいのです。実際に私が所持しているのは「爆裂爛漫娘(BRM)」というスカジャンブランドの金太郎と唐獅子の刺繍が施されたものです。
スカジャンは基本的にリバーシブルで着ることができます。多くのスカジャンは裏表同じ生地で作られているのですが、これはサテンと別珍、別生地で作られている贅沢な仕様となっています。スカジャン初心者はこれだけ持っておけば、もう十分。着丈も普通のスカジャンより短めでボリューミーなので女性の方が着てもちょうどいいサイズです。
刺繍はこんな感じ。BRMは日本を代表する北斎、国芳、光琳などの絵を刺繍に落とし込み、その繊細さ、奥ゆかしさをスカジャンで表現しています。北斎が描いたこの唐獅子も毛並みの表現が細かく、瞳は鋭く、躍動感あふれています。唐獅子の力強さを表現しつつ、少しポップなデザインにしているのもBRMのスカジャンの特徴。私の中のスカジャンのイメージを変えてくれました。
別珍の方には金太郎の刺繍が施されています。裏表こんなに細かく刺繍されているとやはり重さはそれなりにあります。(たいしたことはないですが……)厳つく見えてしまうかもしれませんが、近くで見ると驚くほど繊細。このギャップが一番好きですし、魅力を感じます。
強さと繊細さは表裏一体。
強い男・女ほど繊細さを兼ね備えている、まるでそんなことを言われているような気がしてなりません。その弱い部分を補うように力強いスカジャンを身に付けて、自信にする……。かっこいい。私自身はそんな風にスカジャンと付き合っていきたいな、と思っています。
このブログを読んでくれた皆様がもつスカジャンのイメージが少しポジティブになれば本望……いや、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです!
おススメ スカジャン専門店
FIT’s MARKET
東京都台東区上野6-10-23 HP
アメ横通りにあるお店。ここに行けばまず間違いないスカジャンを買うことができます。
店員さんが親切でスカジャンに関してアドバイスしてくれるので、初心者の方におススメです。パンダや美術館帰りにスカジャン、いかがでしょうか。
爆裂爛漫娘
HP: https://www.tedman.co.jp/bakuretucontents/bakuretu.html/
先程紹介した唐獅子と金太郎のスカジャンはこのブランドのものです。
どれもかっこいいので要チェック。
Written by KIE
衣替えの季節に考えること
2018 Mariko Minagawa by Keio Fashion Creator
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